沖縄・やんばる《笑味の店》
島野菜と人生の先輩達の知恵をつなぐ
後編|ブルーゾーンといわれたやんばるの長寿の秘訣
沖縄本島北部、やんばると呼ばれる地域では、元気な年配の方々にたくさん出会う。年を重ねてますます元気な生き方とその秘訣となっている食文化を、こつこつと聞き取り、次世代に伝え残そうとしている「笑味の店」。長寿の村日本一と呼ばれた地域で食べられる日常の料理やその秘訣に迫る。
食文化でつないでいく
“日本一の長寿の村”

笑子さんは1973年から15年間、学校給食の栄養士として働いていた。そのとき、昔の食生活の聞き取りと、アワメー(もちきびご飯)の再現を行う機会があったのだが、輸入もののもちきびしかなく、脱穀してくれるところもない。食材や道具が失われつつある現状を目の当たりにした。
伝え残さなければ、やんばるの食材や料理を食べようと思う人がいなくなり、つくる人もいなくなり、消えてしまう。次の世代につなぐ行動をしなければいけないという使命感が芽生えた笑子さんは、栄養士を辞め、1990年に笑味の店をオープンした。

笑子さんはライフワークとして、大宜味村に暮らす長寿者の食生活の聞き取りも行っている。かつて、沖縄は平均寿命が全国1位の長寿県として知られ、1993年、大宜味村は健康な高齢者の割合が高い地域として「長寿の村日本一」を宣言した。80代、90代になっても自立した生活を送り、畑仕事を楽しんでいる人々は、どんな食生活を送っているのか。一軒一軒訪ねて、一緒に畑へ出て、台所に立ち、食卓を囲んで記録してきた。
「隣近所は、家族みたいなものね」と笑子さんは言う。
健康で長生きするための秘訣とは.....?

3軒隣に住む奥島菊江さんは97歳。笑子さんが目標だと話す人だ。若い頃から踊りが上手で、集落の人気者。天気のよい日には店の前の道をウォーキングしていて、その足取りは驚くほど軽い。
「健康で長生きしようと思ったらね、3食しっかり食べること。出来合いのものは買わないで、季節の野菜や豆腐を使って、自分でつくるよ。あと気の持ち方ね。必ず外に行って誰かと会って、おしゃべりしてるさー」
そんな菊江さんのお母さんも、長寿者だった。1902(明治35)年に生まれ、109歳で大往生。畑ではいつも裸足で、ゾウのように太くしっかりした足が有名だった。
「ユーモアがあって、しょっちゅう笑ってて。人生楽しんだねっていうお母さんでしたよ」と笑子さん。そうした長寿の先輩たちから、食文化や暮らしのリズムを受け継いできた。

2000年代には、100歳人が多く暮らす地域、世界5大ブルーゾーンのひとつとして沖縄が取り上げられたこともあり、国内外でやんばるの伝統食が注目された。
「最近は10代や、小さい子連れのお客さんもいらっしゃって、この野菜はなんですか、と興味をもってくれる。だから畑から採ってきて見せたりするんです。大学生の男性が友人同士で来て、お料理を習いたいと言ってくれたりもして。つくって食べることが、見直されているようで、うれしいですね」
「育てるのは大変だけれど、
実って、収穫して食べて……
こんなに楽しいことはないよね」

店の前にある笑味の畑では、さまざまな島野菜が力強く育っている。笑子さんはこぼれ種からも苗を育て、人に分けてもいるという。「去年、うちの畑ではニガナがうまくいかなかったのだけれど、環境が違う畑ではよく育つこともあるし、興味がある人に苗をわけて育ててもらっているの。在来種を残すためにも広めていきたいし。好きなものを植えて収穫するのは、本当に楽しいこと」

笑味の店の営業は、5年ほど前から週4日。完全予約制なのは、使う分だけ畑から野菜を採り、食材を無駄にしたくないから。働き方改革、フードロス、SDGs。現代人が取り組んでいる課題に、笑子さんは早々に自分なりの最適解を見出していた。
「明日はお休みだから、名護まで琉球舞踊をやりに行くの。家にいたらしょっちゅう電話は鳴るし、大変なわけ。だから一回、脱出するの(笑)」
育てて収穫する喜び、つくって食べる喜び、使命感をもち生涯現役で働く喜び。大地に根を張って、みずみずしく生き、次世代に種を残す島野菜のように、やんばるで受け継がれる力強い人生があった。
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笑味の店
住所|沖縄県国頭郡大宜味村字大兼久61
Tel|0980-44-3220
営業時間|11:00〜15:00(L.O.)
定休日|火〜木曜
※完全予約制(前日の営業時間内までに)
text: Ayako Arasaki photo: Tsunetaka Shimabukuro
2025年7月号「海旅と沖縄」































