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京都《清凉寺》
光源氏が造営した「嵯峨の御堂」
|源氏物語ゆかりの定番名所②

2024.11.22
京都《清凉寺》<br>光源氏が造営した「嵯峨の御堂」<br><small>|源氏物語ゆかりの定番名所②</small>

平安時代にルーツがあり、多くの文学や伝説に彩られる「清凉寺」。光源氏のモデルとされる源融が造営、そして釈迦堂で出合う本尊・釈迦如来は、五臓六腑をもつ“生身の仏”。

足を運べば1000年の時が紡ぐロマンを感じられる『源氏物語』に描かれた「嵯峨の御堂」とは?

「光る君」のモデルに似せた
阿弥陀如来さまに会ってみたい!

阿弥陀堂は1100年余りの歴史の中で、かつて源融の山荘だった棲霞観、阿弥陀三尊像を祀る棲霞寺の御堂、そしていまの姿へとその役目を変化させてきた。現在の建物は1863(文久3)年に再建されたもの

嵯峨天皇により造営された「大覚寺」のほど近く、愛宕山を望む風光明媚な地に佇む「清凉寺」。通称「嵯峨釈迦堂」と呼ばれるこの寺院は、平安時代に〝光る君〟のモデルのひとりとされる源融によって造営された山荘を起源とする。

清凉寺のはじまりの地は、境内のやや東に位置する「阿弥陀堂」だ。ここには平安時代初期、嵯峨天皇の第十二皇子で左大臣を務めた源融の山荘「棲霞観」が建っており、嵯峨院の一画であったともいわれる。

尾形月耕『源氏物語五十四帖 十八 松かせ』/ 国立国会図書館デジタルコレクション
『源氏物語』に登場する嵯峨の御堂は、棲霞観と位置が一致する。具体的な場所にはじめて言及した「松風」では、光源氏が大堰(おおい)の地に住む明石の君・明石の姫君に会いに行くための、紫の上への口実として登場する

この棲霞観が造営された位置が、源融が光源氏のモデルだとする根拠のひとつ。物語に登場する、光源氏によって建立されたとする「嵯峨の御堂」は「松風」の巻に「大覚寺の南のほうにある」と記述があり、これは棲霞観の位置にぴったり一致する。

嵯峨の御堂を建立した光源氏、棲霞観を造営した源融――類まれな美貌と才能を持ち合わせる貴公子に重ねられる源融とは、いったいどんな人物だったのだろう。

真ん中/国宝「阿弥陀如来像」。現在は霊宝館に安置され、特別公開期間に拝観可能。源融を写し取ったとされるやや面長の端正な顔立ちで、拝む人を静かに見つめる

その面影をしのぶなら、秋(10・11月)と春(4・5月)に特別公開される「霊宝館」を訪れたい。足を踏み入れると、まず国宝「阿弥陀三尊像」が出迎えてくれる。これらは源融が没した翌年にふたりの息子の手によってつくられたもので、かつては阿弥陀堂に安置されていた。

このうち「阿弥陀如来像」は、阿弥陀信仰に篤かった源融が生前、自らの面影を写し取るよう指示してつくらせたという説があり、「光源氏写し顔」とも呼ばれている。すっと鼻筋の通った顔立ちは、平安貴族の気品を感じさせる佇まいだ。

“生身の仏”を祀る本堂

絢爛豪華な装飾に目を奪われる本堂内陣と、国宝「釈迦如来立像」。四本柱で組まれた中央の宮殿は、徳川綱吉とその生母・桂昌院の寄進によるもの。この像は釈迦が悟りを開いた2年後の37歳の生き姿とされ、胎内には絹製の五臓六腑、目には黒水晶、耳には水晶などが納められている

棲霞観は阿弥陀三尊像の安置後に寺院「棲霞寺」となり、120年余り続いていく。986(寛和2)年には東大寺の僧・奝然が宋から日本に持ち帰った「釈迦如来立像」を寺内に安置。こうして現在まで続く「清凉寺」が成立することとなった。

釈迦如来立像を安置する、通称「釈迦堂」と呼ばれる本堂。現在の建物は1701(元禄14)年に再建されたもので、桃山建築の名残を感じさせる風格ある重厚なつくり。京都府指定文化財に指定

境内の中央にそびえる本堂では、本尊で国宝「釈迦如来立像」を祀る。驚くべきは、その胎内に多種多様な納入品が納められていたことだ。1953(昭和28)年、史料や経典、版画などのほか、絹布でつくられた五臓六腑が発見された。これが“生身”の釈迦如来とするゆえんでもあり、納入品は霊宝館で間近に見ることができる。

秋に色づく庭園や建造物も

本堂と庫裏(くり)をつなぐ渡り廊下は、本堂を拝観すると入ることができる境内随一の紅葉スポット。モミジに彩られた弁天堂と池遊式庭園の情緒ある景色が続く。廊下を渡った先にある枯山水庭園も見事

秋に訪れるなら、境内の美しい紅葉も見逃せない。特に本堂の裏手にある渡り廊下からは、色づく木々と池面、そして「弁天堂」が調和した見事な景色を望む。廊下の窓が額縁としての役割を果たしているのも一興だ。

店名物の焼きたての餅と薄茶のセット「愛宕詣」1200円
美しい庭は「瑠璃光院」の庭園も手掛ける庭師によるもの。秋晴れの日にはテラス席でゆっくり景色を楽しみたい

参拝後は境内の甘味処「ヴァガバァーン嵐山」へ。大きな窓から木々の表情を取り込み、黒いテーブルに緑が反射する光景は風情があっていい。美しい庭を望む和モダンな空間で、美味とともに寛ぎの時間を過ごしたい。

今年の京都は、静かな時間が流れる清凉寺で平安の面影を感じてみたい。

ヴァガバァーン嵐山
住所|京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
Tel|なし
営業時間|11:00~17:00
定休日|不定休

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門前道の突き当たりにそびえる仁王門。江戸時代後期の建築様式で、左右には阿吽の金剛力士像を祀る

清凉寺
住所|京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
Tel|075-861-0343
拝観時間|9:00~16:00
定休日|なし
拝観料|400円

《清凉寺年表》
895(寛平7)年 源融没
896(寛平8)年 息子の湛(たたう)と昇(のぼる)により阿弥陀三尊像が完
成、棲霞観に建立された阿弥陀堂に安置。棲霞寺となる
938(天慶1)年 奝然(ちょうねん)誕生
983(永観1)年 奝然、宋に渡る
986(寛和2)年 奝然、帰朝
987(永延1)年 奝然、五台山清凉寺の建立を請願
1016(長和5)年 奝然没。弟子の手により、棲霞寺内に五台山清凉寺を建立
1156(保元1)年 法然、比叡山を下って清凉寺釈迦堂に七日参籠祈請
1217(建保5)年 清凉寺釈迦堂、棲霞寺焼失。明恵上人によって再建
1443(嘉吉3)年 大念仏狂言の初開催
1584(天正12)年 豊臣秀吉、清凉寺に嵯峨の地九十七石を安堵
1953(昭和28)年 釈迦如来立像の胎内より、絹製五臓六腑などを発見
1982(昭和57)年 特別展覧会「釈迦信仰と清凉寺」開催

《源氏物語ゆかりの京都・定番名所4選》
01|大原野神社【前編】
02|大原野神社【後編】
03|城南宮
04|石清水八幡宮

text: Discover Japan photo: Mariko Taya
Discover Japan 2024年11月号「京都」

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