TRADITIONS

お城の敷地が1.5倍に?
徳川の世を生きた後水尾天皇と二条城

2019.9.21
<b>お城の敷地が1.5倍に?</b><br>徳川の世を生きた後水尾天皇と二条城

徳川家康によって位を高め、2代将軍・秀忠、3代・家光と同時代を生き、あの『洛中洛外図屏風』にも登場するという後水尾天皇。徳川家は後水尾天皇を迎えるために二条城の敷地を約1.5倍にしたとまで言われているが、その背景には何があったのだろうか。

108代 後水尾天皇
1596(文禄5)年、後陽成天皇の第3皇子として誕生。徳川家康の後押しにより16歳で皇位につき、徳川和子との間に生まれた娘・明正天皇に34歳で譲位した。修学院離宮を自ら設計するなど、文化面でもセンスを発揮。和歌や華道を好み、この時代に花開いた寛永文化の担い手に。歴代天皇の中でも高齢となる85歳で没する。
〈離宮になり、菊の紋に〉極彩色の四脚門「唐門」は、二の丸御殿の正門。離宮時代に改修された金具20点には、葵紋を菊紋に打ち直した跡が

二条城が築城されたのは1603(慶長8)年。天下人となった家康は、伏見城で将軍宣下(※1)を受けた後、二条城から御礼の参内へと向かった。洛中の城は、幕府と朝廷の間で政治的な往来のある、儀礼用の性質をもっていた。武家政権の長である征夷大将軍を任命するのは朝廷だ。一方、幕府は経済的に朝廷を支えていた。

秀忠の娘・和子の後水尾天皇への入内(※2)がかなうと、家光は次の目標である行幸に向けて二条城を大幅に改修。このとき、二の丸御殿の障壁画は狩野派が手掛け、二の丸庭園は大広間(東側)・黒書院(北側)・行幸御殿(南側)の3方向から観賞できるよう、小堀遠州が石組みを直した。

※1 朝廷が征夷大将軍を任命すること
※2 皇后等に決まった女性が正式に内裏に入ること

〈天皇が感嘆した風景〉かつてそびえていたのは5層の天守。行幸時に後水尾天皇も訪れたが、一度目は曇りで最終日に再挑戦。眺めを楽しんだそう

1626(寛永3)年、ついに行幸が実現。饗宴は5日にわたって行われ、能や和歌などの会が盛大に催された。和子を入内させた徳川家の狙いは、血筋を天皇家に入れ、影響力を保つこと。和子は2人の皇子を生んだがいずれも早世。夢ははかなくついえた。

〈御所から移築〉離宮時代に本丸に移築された旧桂宮邸は、14代将軍家茂に嫁ぐ前、皇女和宮が妹宮と過ごした建物。一般公開に向けて修復中

江戸城を拠点とした幕府の統治が安定してくると、将軍が上洛する必要はなくなる。1634(寛永11)年の家光の上洛を最後に、14代将軍・家茂が訪れるまで、二条城に将軍の入城はない。その間、城は落雷や地震で荒廃。再び政治の表舞台に登場するのは、外国の脅威が迫った幕末のこととなる。

2019年10月号 特集「京都 令和の古都を上ル下ル」

元離宮二条城
住所:京都府京都市中京区二条城町541
Tel:075-841-0096
開城時間:8:45~16:00(閉城 17:00)
※9月は8:00~ 休城日:12月29日~31日
※別途二の丸御殿休殿日あり
入城料(二の丸御殿観覧料込):一般1000円、高中生350円、小学生200円、展示収蔵館観覧料200円 ※10月1日より一般1030円に変更
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