歴史から知る!
もっと日本酒がおいしくなる小ネタ6選【後編】
日本の國酒である日本酒の歴史をひも解くと、現代につながる「え! そうだったの!?」というトリビアがたくさん。酒が美味しくなるばかりか日本史も楽しくなること間違いなし。ぜひ酒の席での小話にお役立てください。
1|酒樽は四角かった!?
木の板で組んだ箱型の「指樽」は、現代のような丸い酒樽がなかった時代の酒樽。祝儀や宴会などで贈答用に酒を入れて運んだものだ。一対になっており、上につぎ口が、側面に指を掛ける場所がある。柿渋塗りに墨書きを入れた庶民的なものから、漆を塗り、金の家紋を施した上等なものまでつくられていた。
2|江戸で好まれた下り酒
下り酒とは、酒処である灘(兵庫)などから船で江戸に運ばれた酒のこと。灘一帯の水はミネラル豊富な硬水に近い中硬水。酵母菌が活発になり、しっかりとした辛口の酒に仕上がる。運搬の際の揺れも加わり、江戸に入る頃にはちょうどよい飲み具合に。キレのよい酒は濃い味つけの料理と相性がよかった。ちなみに伏見(京都)では、水が軟水に近い中硬水ゆえに甘口のぽったりとした酒になり、京料理によく合う。
3|お屠蘇とお正月
元日の行事で一番に行うのがお屠蘇(とそ)を飲むこと。お正月飾りを付けた銚子を用い、新年最初の三献で神さまにいただきますをしてからお節料理を囲む。お屠蘇は中国から伝わり、白朮、桔梗、山椒など東洋のハーブを刻んで入れた袋を酒に浸したもの。無病息災を願い、邪気払いをした。ほかの行事とは違い、お屠蘇は家族の一番歳若から盃を受けるのがしきたり。一番長く生きるからだ。1月15日の小正月が終わって残ったお屠蘇は、一年中清くありますようにとの願いを込めて井戸に入れた。
4|五節句と酒
神さまからいただいた米で造る酒は、さまざまな行事に欠かせないもの。五節句にもそれぞれ祝い酒として決まった酒がある。1月7日の人日ではお屠蘇を、3月3日の上巳(雛祭り)では桃花酒や白酒を、5月5日の端午では菖蒲酒を、7月7日の七夕には甘酒を、9月9日の重陽には菊酒を、といった具合だ。
江戸時代は空前の菊ブーム。中国から伝わり日本の宮中行事が合わさった五節句が、江戸時代に幕府により式日として定められたこともあり、重陽の節句に菊を愛で、酒に菊の花びらを浮かべる「菊酒」を楽しむ風習が根づき、現代に受け継がれている。
なお、日本の正式な酒器は漆の盃である。もしお正月用のものが自宅にあれば、節句の酒も漆の盃でいただきたい。
五節句とは
人日(じんじつ・1月7日)
上巳(じょうし・3月3日)
端午(たんご・5月5日)
七夕(しちせき・7月7日)
重陽(ちょうよう・9月9日)
5|花見と神さま
桜といえば、昔は山桜である。うっそうとした山中で突然現れる白い桜は精霊が宿るかのような美しさ。桜の「さ」は田の神、稲の神を、「くら」は神坐を意味し、「神が宿る木」と親しんだ。桜の季節、米をつくる農家では、神さまをねぎらうために桜の下で宴を開き、枝を1本いただいて自分の田んぼに挿した。神さまが降りてきますようにとの願いを込めて。それが花見のはじまりだ。
現代のように弁当と酒を携えて花見遊山するようになったのは江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代から。上野、浅草、御殿山、飛鳥山などいくつもの桜の名所ができた。その頃につくられた提重は、持ち運びしやすい取っ手の付いたもので、4段の重箱、小さな徳利と猪口、中には取り皿や箸がセットになっているものもある。これらは骨董市などで手に入るので、お気に入りを探してみては。
6|満月を飲む!月見の愉しみ
古来、秋の収穫を神さまに感謝し、酒を酌み交わす「月祀り」が行われてきた。平安貴族たちは中秋の名月の日に観月の宴を催し、月見台から池の水面に映る月を眺めたり、川に舟を浮かべて月見酒を楽しんだものだ。
満月を飲むとは、盃を満たした酒に月を映し、その酒を飲むということ。月の精をいただき、邪気を払うとされる。盃には月が逆さまに映る。そのため、盃は「逆さ月」が語源だとする説もある。
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text: Yukie Masumoto photo: Hiroshi Abe
Discover Japan 2024年1月号「ニッポンの酒 最前線 2024」