明治の改暦から150年のいまこそ知りたい陰陽師の正体とは?
京を守る陰陽師と暦のディープな関係|前編
陰陽師(おんみょうじ)とは、天体観測に基づく占い・まじない・暦づくりなどを行う人々。古代の陰陽師は、星の動きから吉凶の日取りを決める官僚であり、律令制における中務省の組織「陰陽寮」に所属することから、陰陽師と呼ばれるようになった。安倍晴明をはじめ、都を守ってきた存在として知られる陰陽師は、占いや呪いを操る不可思議な存在として知られるが、「暦」をキーワードに史料をひも解くと、その本来の姿が見えてきた。明治の改暦から150年のいまこそ知りたい陰陽師と暦の関係を探る。
教えてくれたのは……
国立歴史民俗博物館 研究部民俗研究系教授
小池淳一(こいけ・じゅんいち)さん
1963年生まれ。弘前大学・愛知県立大学の助教授を経て、2003年に国立歴史民俗博物館助教授に就任、現在は同教授。専門は民俗学、伝承史。著書に『陰陽道の歴史民俗学的研究』などがある
日本学術振興会 特別研究員
下村育世 (しもむら・いくよ)さん
一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て、日本学術振興会特別研究員に。専攻は宗教学、日本近代宗教史。著書に『明治改暦のゆくえ 近代日本における暦と神道』などがある
計画都市として知られる平安京。「暦と結び付けながら、日取りや方位の吉凶を占うことが陰陽師の仕事。東西南北がきちんと決められた都だからこそ、平安は陰陽師が活躍するしかない絶好の時代なんです」と教えてくれたのは、国立歴史民俗博物館で教授を務める小池淳一さん。研究の世界では、古代の陰陽師は役人ととらえるのが通説だという。「時代とともに陰陽師の身分や役割は変わっていきますが、占い師からまじない師へと変化したのも平安時代。安倍晴明は当時の最高権力者である藤原道長と密にかかわっていましたが、やがて中には朝廷では出世できないと、鎌倉幕府で一旗揚げる陰陽師も。政治に携わり占いで存在を誇示する時代が続くのです」
一方、天体観測に基づく暦の作成と配布は、時代を超え担ってきた陰陽師のなりわい。月の満ち欠けを基準につくられた旧暦(太陰太陽暦)は、いまからわずか150年前の明治時代まで使われていた。だが突然の改暦により、明治5年12月3日が翌年1月1日となったものだから、人々は大混乱に陥ったという。「生活が変わったから暦を変えたわけではない。そこが混乱の本質でしょう。旧暦に戻すよう、鳥取や福岡などでは一揆も起きています」と教えてくれたのは、近代日本の暦に精通する下村育世さん。「太陽暦を啓蒙した福沢諭吉の著書『改暦弁』はベストセラーになりましたが、なかなか一般には定着しませんでした」。
陰陽師の身分は明治3年に廃止されるが、長らく政治や暮らしと密着してきた存在だからこそ、至るところに思想は生きている。「陰陽師は安倍晴明だけじゃない。枕草子や平家物語といった有名な古典にも、実は陰陽道とかかわる部分がたくさんあるんです」と、各地の説話・伝承からも、陰陽師の存在が感じられるという。
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text: Natsu Arai
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