仏像修理師集団「三乗堂」の挑戦【前編】
木工の街・鹿沼で活躍中!
伝統の手仕事をつなぐ
異なる地域で育った3人が日光山輪王寺「平成の大修理」の仕事で一緒になった縁を機に、栃木・鹿沼市で仏像修理工房・三乗堂を結成。ひたむきに取り組む彼女たちの姿に迫った。
日光山輪王寺三仏堂三尊の
修理現場で出合い「三乗堂」結成!
三乗堂の設立は2017年4月。大学院の同級生であった井村香澄さんと中愛さん、そして奈良県から来ていた森﨑礼子さんが、日光山輪王寺の「平成の大修理」の現場で一緒になった縁から、「3人の縁の掛け合わせで生まれた工房」を名の由来としている。
人々の想いが込められた
文化財を後世に残したい
三乗堂の工房があるのは、“木工の街”として名高い栃木県鹿沼市。杉や檜など木材資源に恵まれたこの地域は、日光東照宮造営の際、全国各地から腕利きの宮大工や職人が集まり、逗留、永住した彼らによって木工の技術が継承されたといわれている。
三乗堂の成り立ちは、鹿沼に伝わるエピソードとどこか重なり合う。日光山輪王寺の本堂「三仏堂」における「平成の大修理」で、美術院国宝修理所の臨時職員として修理にあたっていた井村香澄さん、中 愛さん、森﨑礼子さんが、仏像修理工房の立ち上げを決意。担当していた「三仏堂三尊」の修理が完了した2017年4月、鹿沼に工房を構えることとなったのだ。
「鹿沼の皆さんは優しく、人懐っこく、県外から来た私たちを温かく迎え入れてくれました。同世代の移住者も多いので、みんなで情報交換をするなど、仲よくさせてもらっています」
と、3人は口を揃える。2021年11月に移転した工房は、総合木材加工企業「光青」の工場の一角。仏像を持ち上げるためのクレーンを、室内に設置できる工房を探していた三乗堂に、「うちの工場の一部を改修し、そこを工房にしたらいいよ」と、会長の青柳卓さんが声を掛けてくれたのだという。
グラフィックデザイナーとして活動経験のある森﨑さんが図面を引き、施工は光青が担当。完成した工房は、採光を考慮した明るい空間で、天井高も希望通りだ。中さんは言う。
「三乗堂を設立する前、どのエリアに工房を構えるか悩んでいた私たちに鹿沼を勧めてくださったのは、日光山輪王寺の学芸員さんでした。最初の工房も、鹿沼の方にご紹介いただいたんです。日光珈琲の代表・風間教司さんで、地域の魅力を生かしたビジネスに取り組んでいる方です」
三乗堂が主に請け負うのは、仏像などの木造彫刻文化財の修理だ。三乗堂設立後、最初の仕事が日光山輪王寺の「風神・雷神複製像」の制作であったように、依頼によって仏像のレプリカや新像の制作も行っている。
像の修理は、形状や損傷具合、歴史的背景といった調査から入る。その後、害虫を駆除する「燻蒸」、汚れを除去する「乾式・湿式クリーニング」や「膠湿布」、彩色層を木地に定着させる「剝落止め」、脆弱化した部分を薬剤で強化させる「含浸強化」、古い接着剤や鉄釘を除去して部材ごとにバラす「解体」、失われた箇所を新調する「補作」、解体した部材を組み上げる「組み付け」、漆箔や彩色、古色を施す「仕上げ」など、集中力を伴う繊細な作業を重ねていく。
「たくさんの方々の思いが詰まったお像ですから、経年後のお姿に合わせた修理を行う『現状維持』、時代様式を踏襲する『時代踏襲』、諸条件を考慮し、永く残せる修理を施す『耐久性』の3つを三乗堂の修理理念としています。そしてお施主さんの思いを大切にすること。修理の方向性など、綿密な打ち合わせをさせていただきます」
そう話す森﨑さんの言葉にうなずきながら、井村さんが続ける。
「私たちはお施主さんが喜んでくださることが、何よりうれしいんです。今回、弘済寺さんに『木造地蔵菩薩坐像』をお返ししたときも、ご住職が涙ぐんでいらして。この仕事をしていてよかったなと、心から感じました」
<三乗堂の修理理念>
◎現状維持
お像の経てきた歴史を尊重した修理を行う
◎時代踏襲
お像がつくられた時代の様式を踏襲
◎耐久性
この先も、永く文化財を遺せるよう修理
栃木県・最勝寺の「金剛力士立像」
部材を解体して修理中!
栃木県足利市の大岩山多聞院最勝寺の山門に安置される「金剛力士立像(仁王像)」の修理に、2019年から取り組む。口を開けている像は「阿形(あぎょう)」、閉じている像は「吽形(うんぎょう)」と呼ばれ、台座を含めた全長は約3m。この像の修理のため、クレーンの入る工房へ移転したそう。
読了ライン
text: Nao Ohmori photo: Yoshihito Ozawa
Discover Japan 2023年3月号「移住のチカラ!/移住マニュアル2023」