TRADITION

二条城は京都御所と一緒にめぐって深まる?!
天皇の足跡が残る場所へ。

2019.9.21
二条城は京都御所と一緒にめぐって深まる?!<br>天皇の足跡が残る場所へ。
邨田丹陵筆『大政奉還』聖徳記念絵画館蔵
1867(慶応3)年10月、二条城にて、在京の重臣たちに大政奉還の意向が伝えられた。14日に天皇へ上奏、翌日勅許が下りる

10月22日に天皇陛下の御即位の儀礼・即位式が執り行われ、お祝いムードで盛り上がる京都。そんな京都に位置し、天皇中心の近代国家が誕生する契機となったのが二条城だ。当時の天皇の足跡を頼りに、長らく日本の中心であった京都御所と合わせて訪れると、より深くその歴史に触れることができるだろう。

遠待 一の間・二の間・三の間〉一の間から三の間の3室は、別名「虎の間」。来殿者が最初に目にしたのが、徳川の権威を見せつけるこれらの障壁画だ

徳川幕府の幕開けと、終焉を見届けた城――。

黒船の来航以来、徳川幕府の権威は失墜の一途をたどる。尊王攘夷が叫ばれ、倒幕への動きが激しくなる中、15代将軍・慶喜が決断した大政奉還により、260年以上続いた江戸幕府がついに終焉を迎えた。天皇中心の近代国家が誕生する、新時代幕開けの契機となった場所がここだ。

徳川幕府の幕開けと、終焉を見届けた城――。関ヶ原の戦いで勝利し、天下人となった徳川家康が、都の拠点として造営。最後の将軍・慶喜が大政奉還を表明したことでも知られている。

黒書院 一の間・二の間〉「桜の間」と呼ばれる、春がテーマの華やかな部屋。親族をはじめ、近しい大名や上層の公家との対面に使われた

幕末に徳川家が失墜し、慶喜が二条城を去ると、現在の内閣にあたる太政官代が置かれ、明治天皇も行幸で訪れている。一時は仮皇居とする案もあったが、実現はしなかった。間もなく天皇が東京へ移り、事実上の遷都が行われたことで、京都は都としての地位を失ってしまう。

大広間 四の間〉将軍上洛時に武器を置いた場所と伝わるが、事実ははっきりしない。松の巨木に、眼光鋭い鷹と鷲。『松鷹図』として有名

京都府庁を経て、1884(明治17)年に離宮となった二条城は、それにふさわしい御殿へと改修が進められた。時を同じくして、琵琶湖疏水の開削や電気鉄道の敷設により、京都は近代化に向けて大きく加速しはじめ、活気を取り戻していく。

二条離宮には幾度か行幸や行啓があったが、中でも大きな出来事は、大正天皇の即位の御大礼(※)の際に、の会場となったこと。二の丸御殿の北側に饗宴場が建てられ、御殿も天皇や来賓者の控えの間として使われている。饗宴場はすぐに撤去され、現在は清流園に。京都市に下賜された翌年の1940(昭和15)年から、一般公開がはじまった。

※天皇が国内外の賓客を前に即位するなどの儀式

元離宮二条城
住所|京都府京都市中京区二条城町541
Tel|075-841-0096
開城時間|8:45~16:00(閉城 17:00)
※9月は8:00~ 休城日|12月29日~31日
※別途二の丸御殿休殿日あり
入城料(二の丸御殿観覧料込)|一般1000円、高中生350円、小学生200円、展示収蔵館観覧料200円 ※10月1日より一般1030円に変更
http://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/

文=藤本りお(アリカ) 写真=元離宮二条城事務所
2019年10月号 特集「京都 令和の古都を上ル下ル」


 

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