HOTEL

土地の記憶が刻まれた、
日本の美を体現するホテルが京都に誕生。
HOTEL THE MITSUI KYOTO|前編

2020.10.30 PR
土地の記憶が刻まれた、<br>日本の美を体現するホテルが京都に誕生。<br><small>HOTEL THE MITSUI KYOTO|前編</small>

京都・二条城を眼前に望む贅沢な立地に、この秋、最高級のラグジュアリーホテル「HOTEL THE MITSUI KYOTO」が誕生。この地は250年以上に渡り三井総領家の邸宅が存在していました。当時から受け継がれてきた梶井宮門(かじいみやもん)をはじめとする数々の遺構とともに、土地に刻まれた“時の記憶”を踏襲しながら、現代に蘇らせる「継承と新生」をテーマに、京都滞在をかけがえのないひと時にしてくれます。

三井総領家の歩みが刻まれた地

三重県伊勢市・松坂で質屋や酒、味噌の商いを営んでいた三井則兵衛高俊(たかとし)は、実質的に商売を取り仕切っていた妻・殊法(しゅほう)との間に四男四女があり、その末子が「三井家の元祖」となる高利(たかとし)だった。高利は53歳のとき宿願だった江戸進出を果たし、「三井越後屋呉服店(越後屋)」を開業し、三井繁栄の礎を築く。

1691(元禄4)年、井原西鶴が『日本永代蔵』を著し、松尾芭蕉が奥の細道へと出立した頃。高利の長男・高平(たかひら)は、二条油小路町の土地を取得して居を構えた。これにより総領家は油小路家と呼ばれるようになり、後に南隣に兄弟の高久(たかひさ)が居宅を構えると、油小路北家または北家と呼ばれるようになる。三井とこの地の繋がりは、ここから始まった。

1710(宝永7)年、三井の全事業の統括機関である「大元方(おおもとかた)」が油小路二条下るに設置されたことによって、この地は名実ともに三井家の中心となり、その地位は長く保たれ続ける。

幕末の動乱の最中、油小路邸は一時、福井藩の藩邸として貸与されるも、明治維新後は再び北家の邸宅として使用。1945(昭和20)年に太平洋戦争が終結すると、GHQ(連合国軍最高司令部)による財閥解体で多くの資産が三井の手を離れた。油小路邸敷地も例外ではなかった。仏間は三井家の菩提寺である真正極楽寺真如堂へ移築され、奥書院「四季之間」の部材は西麻布邸へと引き継がれた。その後、時代の変化の中で再び三井のもとに戻ったこの場所は、三井家が刻んできた歴史をいまも色濃く感じさせる。

"日本の美しさ"を体現

日本経済の歴史を語る上で欠かせない三井家の存在。その統括機関「大元方」も置かれた油小路邸の跡地に建つこのホテルは、当時から受け継がれてきた門や景石、灯篭など、多くの遺構と共に、三井不動産グループの新たなフラッグシップホテルとして、最高級ブランドを矜持している。

ブランディングコンサルタントはデザイナー・水野学さんが担当。「日本の美しさと -EMBRACING JAPAN’ S BEAUTY-」をコンセプトに、四季とともに移ろう美を感じ、人と感動を分かち合う、という日本独自の美意識を、ゲストの喜びを自分たちの喜びと感じるスタッフの意識と重ね合わせている。伝統文化や建築、工藝、食など、日本の美しさを大切にしながら、細やかな心遣いと洗練された振る舞いで、特別な体験と寛ぎを与えてくれる。

京都の伝統的建築様式を現代にアップデート

ホテルは堀川通を挟んで西面に二条城を望む立地に建っている。一方、残る3面は建物が密集しており、景観条件に配慮して建築の自由度にも制限がある。そこで、敷地外周を堀で囲い、三井北家時代の二条城と油小路との関係を継承した街区邸宅型として、中心に中庭を据えるプランを採用。この根底には、「庭屋一如(ていおくいちにょ)」という日本建築古来からの考え方がある。庭と建物がそれぞれに存在感を持ちながら、一体となって調和した状態を指す言葉だ。京都には庭屋一如の名建築が多く存在し、ブルーノ・タウトらによって海外にもその魅力が伝えられた桂離宮はその代表例だ。

また庭屋一如は、日本古来の自然観や宗教観とも関係が深い。内部にいても外部との繋がりが意識され、外部にいても内部の気配が感じられる。平安時代を中心に隆盛した寝殿造から脈々と受け継がれてきた思想だが、古来の建築が庭園の中に建物を浮かべるように建てたのに対し、このホテルでは、中庭を建物が取り囲む作りになっている。自然との距離を近づけつつ、外的要因に合わせた現代的なアップデートと言えるだろう。

「古き良きものを新しいデザインの中に組み込むことで、この場所で培われてきた歴史を認識できる」と語るのはマスターデザインアドバイザー・栗生明さん。

日本建築の特徴的な水平性も強調。視線を遮らない作りは、縁側の向こうに庭があり、隣家の先に山々の風景が広がる日本の借景を意識しており、歴史ある京都のこの場所で「継承と新生」を感じられる。

三井家の歴史を継承する象徴的存在
梶井宮門

「梶井宮(かじいみや)」とは、京都の奥座敷とも称される大原の天台宗寺院のことで、現在の三千院を指していた。1698(元禄11)年、河原町・今出川に移設された梶井宮御殿の門として造営され、その後、京都・大原に移転されたのち、1935(昭和10)年に油小路邸の門となった。

形状は「本瓦葺・袖塀付き薬囲門(やくいもん)」と呼ばれるもの。寺社のみならず、城郭や邸宅にも多く用いられた形式だ。柱間4.5ⅿ、高さ7.4ⅿの威風堂々たる遺構は、見る者すべての心を掴む。昔は土だけで葺いていたものを、屋根材と瓦をワイヤーで連結することで耐震性を上げるなど、修復を繰り返しながらも、外観の部材を8割以上も残しながら進化を遂げている。これも「継承と新生」のひとつの在り方だ。

茶の湯の精神と文化がここに。
四季の間

油小路邸の中心には、奥書院・通称「四季之間」と呼ばれる、庭園の四季の移ろいを感じられる4間続きの広間があり、三井家当主が客人を迎えるもてなしの場となっていた。その奥書院を継承し、総檜造で蘇らせたのが「四季の間」だ。

この空間には歴史を継承する多種多様な意匠が取り込まれている。油小路邸の設計に携わった三井家10代目当主・三井隆棟(たかむね)の桂離宮への憧憬は尋常ならざるものがあったからだ。積年の想いが込められた「月の字崩し」と呼ばれる欄間や「櫛形窓(くしがたまど)」、「木工型刳貫(もっこうがたくりぬき)」などの意匠は、この四季の間にも引き継がれている。

現在、四季の間はもてなしの場としてさまざまな用途で使用できるほか、レストランの別室としても利用可能。畳には炉が切られ、拡張高い一間奥行きの床は、三千家のひとつである武者小路千家の家元後嗣・千宗屋(せんそうおく)さん監修による月ごとの室礼で飾られている。四季折々の景色を楽しむ茶席の場としても特別な体験ができそうだ。

京都に古くから伝わる「南庭北園(なんていほくえん)」の考え方に準じて、かつての姿から配置変更した庭園。手水鉢や沓脱石、もみじ台の基礎石など、三井家から継承したものを用いて作られた

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HOTEL THE MITSUI KYOTO
オープン日|2020年11月3日(火)
住所|京都府京都市中京区油小路通二条下る二条油小路町284
料金|1泊2名朝食付91,310円~(サ込・税別)
チェックイン|15:00
チェックアウト|12:00
客室数|161室
施設|レストラン、バー&ラウンジ、天然温泉プール、温泉、SPAトリートメント、フィットネスジムなど
Tel|075-468-3100
www.hotelthemitsui.com


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