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泉屋博古館東京リニューアルオープン記念展Ⅱ 光陰礼讃
―モネからはじまる住友洋画コレクション

2022.5.28
泉屋博古館東京リニューアルオープン記念展Ⅱ 光陰礼讃<br><small>―モネからはじまる住友洋画コレクション</small>

2022年春に新装開店した東京・六本木の泉屋博古館東京が、リニューアルオープン記念展第二弾「光陰礼讃」を2022年5月21(土)~7月31日(日)にかけて開催。モネやローランス、ルオー、ピカソ、シャガールをはじめとする近代画家の陰影表現に着目した本展の見どころをご紹介!

泉屋博古館東京とは?

2002年10月、東京・六本木一丁目の住友家麻布別邸跡地に開館した泉屋博古館分館は、その名の通りもとは京都・鹿ケ谷にある泉屋博古館の分館として建てられた。開館以降、館蔵の近代絵画や工芸品、茶道具などを紹介する展示会や、京都本館所蔵の住友コレクションの名品を東京で展示する特別展を企画し、東西両館のシナジーを生かした活動を行っている。

2022年3月のリニューアルを機に「泉屋博古館東京」に改め、展示スペースが改装されたほか、内装は光を飽和しないグレーに統一し、照明は最新設備にすることで、ガラスの映り込みを気にせず作品を鑑賞できるようになった。さらに第1・第3展示室をつなぐ第2展示室を新設するなど、作品をより細部まで鑑賞できる空間へと生まれ変わった。

初公開作品も!
印象派と古典派から近代洋画の陰影表現をたどる

オーギュスト・ルノワール《静物》1905年頃 泉屋博古館東京

住友コレクションの一角を占める近代洋画は、住友吉左衞門友純(春翠)が1897(明治30)年の欧米視察中のパリで印象派の画家モネの油彩画2点を入手したことにはじまる。このとき購入した西洋絵画などを、1903(明治36)年に完成した住友須磨別邸(洋館)に並べることになるが、春翠は各部屋の用途や性格に応じた絵を飾っていくことを計画していく。収集の手立てのひとつとしたのが、パリ留学を支援していた洋画家・鹿子木孟郎を仲介者としたことだった。鹿子木は当時パリ画壇で活躍する巨匠たちの名画を住友に届けたのだった。その中心は、ジャン=ポール・ローランスなどのフランス・アカデミーの古典派の絵画。19世紀末のフランス絵画は、印象派の台頭とともに古典的写実派が次第に衰退していく様相を示すことになるが、住友洋画コレクションには同時代の印象派と古典派の作品がともに揃って収集されているところに特徴がある。

本展では、光を追い求めた印象派と陰影表現による実在感を追究した古典派を「光陰」と捉え、この「光陰」ふたつの流れから滋養を受けて展開した近代洋画の数々を、初公開の作品を含めて紹介。

春翠が開いた洋画コレクションはその後、関西洋画壇をリードした浅井忠やその門下生たちの作品、また東京美術学校で学び、明治末から大正期にパリに留学して帰朝後に日本の洋画を切り拓いた青年画家たちの作品が順次加えられていくが、その収集の遺志は春翠の子息たち(住友寛一と住友友成)に継承され、岸田劉生や、ピカソやルオー、また日本のフォーヴを担った画家たちの魅力ある絵画が継続的に住友家にもたらされた。

こうして集められた住友洋画コレクションを「光陰礼讃」と題し、近代絵画史の流れに沿いながら紹介される本展。「光陰」とは、本来「歳月」や「月日」の謂いを意味するが、明治・大正・昭和という激動の時代を経ていまに伝わる作品たちがくぐり抜けてきた歳月にも想いを馳せたい。

〈見どころ1〉
19世紀フランス絵画の光と陰
—印象派のモネと古典派ローランスの対決

ジャン=ポール・ローランス  《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》1877年

住友春翠の洋画コレクションの特色は、クロード・モネの2点の風景画をはじめとする印象派の作品と、それとは趣を異とする19世紀フランス・アカデミズムの写実表現を根幹とする古典派絵画がともに収められていること。その作品収集に深く関わったのが洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう/1874~1941年)だ。明治30年代に渡欧した鹿子木の留学資金を支援する代わりとして、住友は鹿子木に西洋絵画の収集を依頼。パリで、アカデミズムの巨匠ジャン=ポール・ローランスの特別な弟子となった鹿子木は、ローランス作『ルターとその弟子たち』(第二次大戦中に焼失)をはじめ『マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち』などの代表作を春翠のもとに届けている。鹿子木が仲介して集められた本場の西洋画には、ほかにフランス外光派や英国ロイヤル・アカデミーの画家たちの作品もあり、それらは明治36年に完成した須磨別邸の各部屋に飾られた。

〈見どころ2〉
初期文展の花形作家たちの代表作がずらり
—藤島武二、和田英作、岡田三郎助、山下新太郎ほか

鹿子木孟郞《ノルマンディーの浜》1907年 泉屋博古館東京

鹿子木孟郎は19世紀フランス古典派絵画の写実表現を修得。留学中の鹿子木の鍛錬は、サロンに入選した『ノルマンディーの浜』に結実している。帰国後、関西美術院や太平洋画会、文展(文部省美術展覧会)でも中心的存在となった鹿子木は、それらの展覧会出品作から春翠好みの洋画を仲介したり、また春翠が支援した関西美術院の院長だった浅井忠の遺作を住友に届けている。

太平洋画会は、浅井らを中心に明治20年代初期に創立された明治美術会を母体として1901(明治34)年に発足した美術団体。当初は鹿子木らが移入したアカデミックな写実画の牙城として、白馬会系の外光表現と対照され、明治後期の洋画界における二大潮流を形成していた。

関西美術院を牽引した浅井や鹿子木の作品を中心に、明治美術会やその後の太平洋画会の系統を汲み、明治末の文展などで活躍した画家たちも紹介される。

〈見どころ3〉
20世紀のパリと日本で活躍した画家たちの競演
―ルオー、ピカソ、シャガールと坂本繁二郎、岡鹿之助、小磯良平

春翠のもうひとりの子息である友成(1909~93年)の洋画収集が本格化するのは、1930年代から40年代前半に集中している。昭和戦前戦中にあたるこの時期は、第一次大戦後から第二次大戦前までにヨーロッパで学んだ洋画家たちが20世紀前期のパリ画壇を席捲したキュビスムやフォーヴィスムを盛んに移入した時代。とりわけ、フォーヴィスムに傾倒した画家達が集まった二科展や独立美術協会などは、じつに多様な個性を成熟させる自由な場だった。主観を押し出した彼らの作品は、東洋的な線質を生かしたり、フォルムの単純化や様式化を促した。それらは伝統的な日本絵画にも通ずる要素でもあった。彼らの芸術は「日本的フォーヴ」と呼ばれるようになり、梅原龍三郎らによる「日本的油絵」とともに、昭和期の洋画の主流となった。展示の終盤では、ルオーやピカソ、あるいはシャガールといった20世紀フランスの画家達と彼らから影響を受けた日本の洋画家たちが紹介される。

クロード・モネ《モンソー公園》1876年 泉屋博古館東京


岡田三郎助《五葉蔦》1909年 泉屋博古館東京


浅井忠《河畔洋館》1902年 泉屋博古館東京


岸田劉生《二人麗子図(童女飾髪図)》1922年 泉屋博古館東京

設備も新たに生まれ変わり、作品の陰影表現をより豊かに写し出す泉屋博古館東京。本展でしか見られない名品も並ぶ貴重な機会をお見逃しなく。

泉屋博古館東京リニューアルオープン記念展Ⅱ
光陰礼讃 ―モネからはじまる住友洋画コレクション

会期|2022年5月21日(土)~7月31日(日)
会場|泉屋博古館東京
住所|東京都港区六本木1-5-1
休館日|月曜(祝日の場合は翌平日休館)
時間|11:00~18:00(入館は17:30まで)※金曜日は19:00まで開館(入館は18:30まで)
料金|一般1000円、高大生600円、中学生以下無料
Tel|050-5541-8600
https://sen-oku.or.jp/tokyo

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