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甘酒探求家・藤井寛さんに聞く
そもそも甘酒ってなに?
<甘酒にまつわる基礎知識>

2021.7.13
甘酒探求家・藤井寛さんに聞く<br>そもそも甘酒ってなに?<br><small><甘酒にまつわる基礎知識></small>

原料や製法の違いで分けられる甘酒の種類、甘酒の歴史や祭りのことなど、甘酒のあれこれをうかがいました。甘酒って奥が深い!

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藤井 寛(ふじい・ひろし)
1985年、東京生まれ。小学4年生で甘酒づくりに目覚める。東京農業大学応用生物科学部醸造科学科を卒業、食の会社を経て甘酒探求家に。甘酒の多彩な情報を届ける「あまざけ.com」を運営。現在、発酵の本を執筆中

Q.アルコールは入っていないのですか?
A.米麹甘酒は入っていませんが、酒粕でつくる甘酒には含まれます。

米麹甘酒と酒粕甘酒の違い
米麹の分解酵素で米のでんぷんが小さい糖になる。この状態が米麹甘酒。ここに酵母を加えることで糖がアルコールに変わり、それを搾ったのが日本酒で、残りが酒粕に

甘酒と聞いて、正月に神社で振る舞われるものを思い浮かべる人も多いだろう。多くは日本酒を搾った後の酒粕を湯で溶き、砂糖で甘みを加えた「酒粕甘酒」だ。酒粕自体にアルコールが含まれるため、甘酒にもわずかながらアルコールが残る。手軽につくれてコクがあり、ふんわり広がる香りのよさが人気だ。一方、米と米麹と水を合わせて一定の温度で発酵させたものも甘酒で、瓶詰めして市販されているもののほとんどはこの「米麹甘酒」。麹の分解酵素の働きで、米のでんぷんがブドウ糖やオリゴ糖に変わるため、自然で濃厚な甘みがある。もちろんノンアルコール。子どもや高齢者、妊婦も安心して飲むことができる。

Q.飲むタイプとペーストタイプは何が違う?
A.仕込む際の水分量の違いによるもので、甘さが異なります。

ひと口に米麹甘酒といっても、さらりと飲み心地のよい「薄づくり」から、水や牛乳などで割って飲むような「固づくり」まで濃度はさまざま。これは米麹を発酵させる際の水分量によるもので、水分が少ないほど濃度が高く、甘みが強くなる。濃度は、栄養成分表示にある炭水化物量を参考に。甘酒100g中の炭水化物量が20g以下だと薄く、20〜25gだとほどよい飲み心地。30〜40gはやや固めで、40g以上は固づくりとなる。

Q.つくり手により味が違うの?
A.造り酒屋とそれ以外で大きく分かれます。

甘酒の製造元は、酒造メーカー、味噌や醤油の製造業者、麹専門店がほとんど。いずれも米麹のスペシャリストで、それぞれの技術を生かした甘酒をつくっている。大きな違いは、酒造メーカーの甘酒は水分の多い薄づくりなのに対し、それ以外はペースト状の固づくりが多いということ。また、精米歩合50〜60%といった高精白の米で麹をつくる技術をもつ酒造メーカーでは、雑味のない上品な甘酒になる傾向がある。

Q.甘酒はいつから日本人の健康を支えていた?
A.『日本書紀』にすでに甘酒の原形が。宮中へは高級酒として献上されていました。

文献からひも解く甘酒の歴史
甘酒という言葉が見られるのは江戸時代に入る直前のこと。それ以前は「醴酒」、「醴」、「天甜酒」などとして日本の歴史書に登場する。

甘酒の歴史をひも解くと、『日本書紀』にその原形が記されている。そこには288年頃、吉野の民が時の天皇に醴酒を捧げたとあり、この醴酒こそが麹を発酵させて一夜でつくる甘酒だと推測される。宮中では醴酒は夏に献上されていたため、時代が下っても関西では甘酒は夏の飲み物とされた。また、神々の物語が記された日本書紀に、木花開耶姫が醸した「天甜酒」の記述も。瓊瓊杵尊と結婚し、一夜で子をなした女神は、その感謝を示すために天甜酒をつくり祭りをしたとある。

古代〜奈良

日本最古の歴史書『日本書紀』(720年)に、甘酒のルーツといわれる「醴酒(こさけ、れいしゅ)」、「天甜酒(あまのたむさけ)」の名が登場する。
「288年頃、吉野の民である国栖人(くずびと)が、応神天皇に醴酒を捧げて歌を詠んだ」との記述、そして「木花開耶姫という女神が天甜酒をつくる」とある。

平安

律令の施行細則をまとめた『延喜式』(927年)に、「醴酒」とは「米と麹と酒を用いた酒」と書かれている。また、近い時代の文献から、その呼び名は「こさけ」といい、一夜でできる一夜酒、そして甜酒(たむさけ=甘い酒)であることがわかる。

鎌倉〜安土桃山

宮中の年間行事や起源、沿革をまとめた『公事根源』(1422年)に、一夜酒である醴酒を夏につくって飲む習慣があると記されている。

江戸

「甘酒」という言葉が登場。醴酒、醴とともに、料理本、辞典、俳句などに多く見られるようになる。
代表的な料理書『料理物語』(1643年)に、麹でつくる甘酒のレシピが紹介される。
俳句の題材としても好まれた。
「寒菊や 醴造る 窓の前」松尾芭蕉
「一夜酒 隣の子迄 来たりけり」小林一茶
江戸後期の三都(江戸・京都・大坂)の風俗などをまとめた『守貞謾稿』(1853年)に、江戸では四季を問わず甘酒が売られていたものの、京都・大坂は夏のみだったことがわかる記述がある。

明治〜令和

明治、大正は引き続き甘酒人気。ところが関東大震災(1923年)以降は町から甘酒売りが消えてしまう。平成に入って「麹」ブームが起こり、甘酒が再び注目を集めている。

Q.甘酒は夏の飲みもの?
A.江戸時代、江戸では四季を問わず、関西では夏に飲まれていました。

江戸では甘酒売りが大活躍
江戸時代に急増した甘酒売り。江戸では1杯8文(現代の価値でいえば約200円)、京都・大坂では1杯6文で売られていたとある

出典:国会国立図書館デジタル コレクション『守貞謾稿』

江戸時代も後期になると、江戸の町では甘酒屋や市中を売り歩く甘酒売りが急増した。甘酒は栄養ドリンクに、料理や菓子にと広く一般庶民に親しまれていたのだ。江戸では四季を通じて甘酒が販売されていたが、京都や大坂では夏のみ。都があった関西では、宮中に倣い夏の飲み物という認識が強かったからだろうか。

Q.祭りに甘酒が使われるのはどうして?
A.造り酒屋がない土地でも、甘酒なら一夜でできるからでしょう。

岐阜・荒神社の甘酒祭では甘酒と餅が振る舞われる

祭りに御神酒はつきもの。清酒のイメージが強いが、甘酒が使われる祭りも多い。麹を発酵させて一夜でできる甘酒は、造り酒屋がない土地でも地元民が心を込めてつくることができるからだ。また、甘酒が主役の祭りも日本各地に存在する。豊作の祈願や感謝として甘酒を献上したり、甘酒を掛け合うことで疫病流しや無病息災を願うもの。これらの祭りで甘酒が振る舞われるのは、神さまのお下がりをいただくことで、ご加護を授かるという神人共食の教えによる。

疫病流しに甘酒を掛け合う埼玉・猪鼻熊野神社の甘酒祭り

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supervisor:Hiroshi Fujii text: Yukie Masumoto
photo: Gorta Yuuki, Hiroshi Fujii illustration: Ayako Kubo
Discover Japan 2021年7月号「ととのう発酵。」


<甘酒にまつわる基礎知識>
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