『寺子屋』の舞台「京都 芹生」
おくだ健太郎の歌舞伎でめぐるニッポン
日本各地に残る歌舞伎の舞台を、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げるのは、涙なしには見られない人気演目「寺子屋」の舞台となった京都府の芹生です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
菅原道真が、政治の宿敵の策略で、九州・太宰府へ追いやられた悲劇を描いたお芝居。それが「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」です。「寺子屋」は、この名作のまさにクライマックスで、父の道真と別れて京に残された幼い若君が、危機一髪、敵方からの難を逃れる、というお話です。
ただしそこには、一人の男の子が身代わりに首を討たれる、痛ましい出来事がありました。それは京都の北の山里・芹生(せりょう)の寺子屋で起こります。寺子屋の先生・武部源蔵は、もとは道真公に書の道を学び仕えていた、優れた弟子でした。その恩に報いるために、この寺子屋に若君をかくまっているのです。ところがそれを、敵方に見抜かれてしまいました。若君の首をはねて差し出せ、という命令が、庄屋から下ります。腕組みして沈痛な表情で、源蔵は寺子屋へと戻ってきます。
子どもたちの中に、誰か、身代わりになりそうなのは……残酷な思いを秘めつつ、「お帰りなさーい!」と無邪気に出迎えてくれる、一人ひとりの顔を確かめます。が、あれもダメ、これも田舎者の顔つき、こっちも、こっちも、みんなダメか——諦めかけた、その時。「……!」
留守のあいだに入学したばかりの男の子が、山家育ちとは思えないくらいに、実に気高いものをたたえています。(この子しか、いない……)血を吐くような決心の、源蔵。やがて到着する、首を受け取る使者。
「身代わりだなんて、下手なマネは、するなよ」と、憎々しく言い放つ男の名は、松王丸。かつては彼も、道真公への忠義に厚い立場でした。ところが、現在仕えているのは、ほかでもない、道真を失脚させた政敵なのです。若君の顔を見知っているから、首あらための役として、差し向けられたのです。
追い詰められた源蔵——断腸の思いで、寺子屋の奥で、刀を抜きます。首桶を、固唾を飲みつつ、松王丸の前に置きます。ふたを取って、じっと見入る、松王丸。
「若君の首に……相違……ない。相違ござらぬ。でかした源蔵、よく討ったなあ」
まさか、首を見まちがえてくれるとは……源蔵は、喜びと驚きで、わなわなと腰を抜かしてしまいます。実は——「でかした」と源蔵にかけたひと言を、松王丸はこの時、首にも、ひそかにかけていました。身代わりになった男の子こそは、あらかじめ松王丸が、寺子屋に入学させておいた、彼の息子だったのです。わが子を犠牲にしてでも、道真公の旧恩に、報いたかったのです。
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2017年10月号 特集『京都の誘惑。』