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東京都《旧岩崎邸庭園》
ジョサイア・コンドルと大河喜十郎が手掛けた、三菱財閥第三代社長の旧本邸

2023.6.15
東京都《旧岩崎邸庭園》<br>ジョサイア・コンドルと大河喜十郎が手掛けた、三菱財閥第三代社長の旧本邸

東京・上野エリアにある「旧岩崎邸庭園」は、三菱財閥創業者の元本邸として明治期に建てられた施設。建築家・ジョサイア・コンドル設計の洋館と名棟梁・大河喜十郎の和館、そして広大な庭園を有し、重要文化財にも指定されている。
江戸時代からアートと自然を同時に楽しめる同施設の歴史と見どころを紹介しよう。

明治時代、新しい建築文化のはじまり

東京メトロ湯島駅から徒歩3分、JR御徒町駅から徒歩15分の場所に位置する旧岩崎邸庭園。ここは広大な芝庭と洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)の3棟からなる国の重要文化財だ。

旧岩崎邸庭園は、1896(明治29)年に岩崎弥太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸として造られた。当時は約1万5000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたとされている。現在の敷地は3分の1となり、3棟のみが現存している。
洋館は、上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸なども手掛けたイギリス人建築家のジョサイア・コンドルが設計。近代日本住宅を代表する西洋木造建築となっている。別棟として建つ撞球室もコンドル設計によるもの。洋館と結合された書院造りの和館は、当時の名棟梁・大河喜十郎の手によるものと言われている。

戦後はGHQに接収され、返還後、1952(昭和27)年に国有財産となり、最高裁判所司法研修所等として使用されていた。1961(昭和44)年に和館大広間と洋館東脇にある袖塀が、1999(平成11)年に煉瓦塀を含めた敷地全体と実測図がそれぞれ追加指定された。

世界の住宅史上でも稀有な建築!
洋館・撞球室

洋館の館内には細部にジャコビアン様式の意匠が見られる

ジョサイア・コンドル
1852年、英国ロンドン生まれ。1877(明治10)年に日本政府の招聘により来日。工部大学校造家学科(現・東京大学工学部建築学科)の初代教師に就任し、日本で初めて本格的な西欧式建築教育を行う。門下には、東京駅の設計で知られる辰野金吾、赤坂離宮を設計した片山東熊など、近代日本を代表する建築家がいる。鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂など多くの洋風建築も設計し、のちに日本最初の建築設計事務所を開設。東京帝国大学名誉教授、(日本)建築学会名誉会長・名誉会員。1920(大正9)年、日本で永眠。

ジョサイア・コンドルが手掛けた洋館と撞球室。木造2階建・地下室付きの洋館は、17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラム風のモティーフなどが採り入れられている。洋館南側は列柱の並ぶベランダで、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の特徴を持っている。また1階のベランダには、英国ミントン社製のタイルが目地無く敷き詰められ、2階には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られた客室もある。岩崎久彌の留学先である米国ペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージも採り入れられていることからも、コンドルが家主と入念な打ち合わせを行い設計していることがうかがえる。併置された和館との巧みなバランスは、世界の住宅史においても希有の建築とされている。
当時はおもに年1回の岩崎家の集まりや外国人、賓客を招いてのパーティーなどプライベートな迎賓館として使用されていた。

洋館2階にある婦人客室
暖炉が置かれた階段ホール

撞球室は、洋館から少し離れた位置に別棟として建っている。ジャコビアン様式の
洋館とは異なり、当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りとなっているのも同施設の面白いポイントだ。全体は木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入っ
た柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックの流れを汲むデザ
イン。洋館から地下通路でつながっていて、内部には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られている。

洋館から少し離れた位置に建つ撞球室
撞球室 内観

大名庭園の形式を一部踏襲した
広大な芝庭

岩崎邸が造られる以前、江戸期は越後高田藩の榊原氏、明治初期は舞鶴藩牧野氏の屋敷が建っていた。当時の庭は大名庭園の形式を一部踏襲しており、建築様式同様に和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残している。往時をしのぶ庭の様子は、江戸時代の石碑や和館前の手水鉢や庭石などに見ることができる。この和洋併置式の邸宅形式は、その後の日本の邸宅建築に大きな影響を与えている。

現在は入手困難な木材が使われる
書院造りを基調にした和館

洋館に併置された和館は、書院造りを基調としている。完成当時は建坪550坪にもおよび、洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていた。現在は、冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟のみが残っている。施工は大工棟粱として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手掛けた大河喜十郎と伝えられている。
床の間や襖には、橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画が残っている。いまは失われた岩崎家の居住空間は、南北に分けられ、南に久彌と寧子夫人の部屋、子ども部屋などが置かれていた。北には使用人部屋、台所、事務方詰所、倉庫などがあった。
部材の一つひとつに使われている、現在では入手困難となっている木材にも注目したい。

のんびりと庭園を望める広々した縁側

現在和館は庭園を眺めながらいただけるお茶席や、「金唐革紙」のしおりやカードケースなどが並ぶショップとしても利用されている。
江戸、明治、大正時代から続く旧岩崎邸庭園の歴史と文化、自然に思い馳せるひと時を過ごしてみてはいかがだろうか。

読了ライン

旧岩崎邸庭園
住所|東京都台東区池之端1-3-45
時間|9:00~17:00(入園は16:30まで)
休園日|年末年始(12月29日~翌年1月1日)※イベント開催期間などで休園日開園や時間延長が行われる場合もあります
料金|一般400円、65歳以上200円 ※小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料
駐車場|なし
Tel|03-3823-8340
アクセス|東京メトロ湯島駅から徒歩約3分、JR御徒町駅から徒歩約15分
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index035.html

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