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歴史からひも解く日本人と温泉の関係性
完全保存版!プロ厳選のいい風呂とサウナ
【Column 1】

2023.3.23
歴史からひも解く日本人と温泉の関係性<br><small>完全保存版!プロ厳選のいい風呂とサウナ<br>【Column 1】</small>
兵庫県・有馬温泉 ホテル花小宿

温泉をより深く楽しむために知っておきたい知識を、温泉教授こと、松田忠徳さんにうかがう。今回のテーマは、「歴史からひも解く日本人と温泉の関係性」。日本人はいつ頃から温泉に浸っていたのだろう?

教えてくれた人
松田忠徳

1949年、北海道・洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院 モンゴル文学専攻修了。温泉学者、医学博士、旅行作家。「温泉教授」の異名で知られる、温泉学の第一人者。近著『全国温泉大全』など著書は約100冊

温泉好きのDNAが
日本人には刻まれている

1964年、長野県・上諏訪にて、縄文人が湯に浸かっていたことを示す痕跡が発掘された。日本人と温泉とのかかわりが書物に記されるのは奈良時代。『出雲国風土記』(733年)では、現在の島根県・玉造温泉に対し「万病すべて治癒してしまう」といった記述があり、『日本書紀』や『万葉集』を見ると、天皇の温泉行幸に加え、各温泉地の様子がうかがえる。

「天皇は温泉で禊をしてよみがえり、政治に取り組もうと願ったはず。さらに禊は、復活=若返りの信仰と結び付いていました。湧出する熱湯が痛みや傷を治癒するのですから、不思議はありません」

8〜9世紀には大陸から仏教文化が伝わり、「湯・風呂に入ると功徳が得られる」といった『仏説温室洗浴衆僧経』が広まった。

「この経典と禊の精神の融合により、“風呂好きの日本人”が生まれたと私は思っています」

江戸時代に入ると温泉に医科学的な光が当てられ、「温泉番付」もつくられるなど、湯治ブームが広がっていく。それは初代将軍・徳川家康の影響が大きいという。

「私の持論は、『温泉は科学的な面と精神的な面の両側面から、心と身体を治す』。そしてこれは、日本人の温泉への向き合い方であると考えています」

<縄文時代>
縄文人も温泉に浸かっていた

1964年、現在のJR上諏訪駅前のデパート建設現場から、縄文人の温泉跡が発掘された。発見した考古学研究学者の藤森栄一は「有機土層で大石がほぼ環状に並んでいるところがあった。硫化質の湯が湧いていたことは確実で、湯垢の付いた土器や石器も出てきた。石器時代の人たちは湯に入っていたのだ」と、著書で記述している

<奈良時代>
天皇も禊のために温泉入浴

第36代天皇・孝徳天皇が死去した657年、息子の有間皇子は現在の和歌山県・白浜温泉にあたる牟婁(むろ)温泉へ湯治に向かい、額田王(ぬかたのおおきみ)は現在の愛媛県・道後温泉にあたる伊豫(いよ)温泉を舞台にした歌を詠むなど、入浴史には天皇や皇族が温泉地へ行幸した記録が多く残る。「日本の神道による禊祓(みそぎはらえ)は、温泉での蘇生の観念と結び付いたと思われます。天皇は慰安ではなく、禊をして心身ともによみがえり、新しい政治に取り組もうと考えたのでしょう」

<奈良時代>
『出雲国風土記』に残る医者要らずな温泉のチカラ

『出雲国風土記』は日本温泉史に関する史料の宝庫。島根県・玉造温泉について「この温泉で一度洗えば容貌も美しくなり、重ねて洗えば万病すべて治癒してしまう。世人はこれを神の湯と言う」という内容が記述してある。「これらの記述から、日本人にとって温泉がどのような存在であったのか、なぜ温泉に浸かったのかが推察できます」

『訂正出雲風土記』(部分) 江戸後期/国立国会図書館デジタルコレクション
『出雲国風土記』には美容や医学的な効果のほかにも、「温泉が湧くエリアでは老若男女が集まり、酒宴を楽しみ賑わっている」といった内容も残る。「先人は現代人と同じように、病の治癒と娯楽という温泉の使い分けをしていたことがわかります」

<奈良時代>
湯浴みよりも先に普及した日本式サウナ

 
日本の風呂の原点と考えられているのが、奈良時代に瀬戸内地方の海岸の岩窟などを利用してつくられた岩風呂だ。これは湯に浸かる入浴法ではなく、蒸気浴を指す「蒸し湯」。穴の中で雑草の生木を焼き、海藻類を敷き詰めて水蒸気を充満させた後、そこで全身を温めていく。いわば現代のミストサウナである。水蒸気は海藻の塩分やヨードを含むため、神経痛やリウマチ、胃弱など、さまざまな病に卓効があった

『伊香保志』中巻(部分) 明治15年/国立国会図書館デジタルコレクション
伊香保温泉誌には、右手前に岩窟を利用した蒸し湯、左中央に箱蒸しと思われるものが!

<奈良時代>
名僧は温泉の発見で布教活動

8〜9世紀に入ると温泉での禊の習慣がある日本へ、大陸から仏教文化が導入される。多数の仏教経典の中のひとつが『仏説温室洗浴衆僧経』。ここには「湯浴みをすると功徳が得られる。7つの病を除け、七福が得られる」と説かれていた。「施浴」は僧侶の布教活動の一環となり、風呂を施すことで信者を獲得。光明皇后も悲願のため1000人の身体を洗う「千人施浴」を行った。ここから温泉と仏教のつながりが生まれたという

<江戸時代>
私たちが温泉に入れるのは徳川家康のおかげ!?

熱海で湯治をしたり、樽詰めした温泉を熱海から江戸城に取り寄せるなど、徳川家康は大の温泉好きであった。歴代将軍たちも温泉に執心。「将軍御用達」の評判で、湯治ブームは大名から庶民へと広がっていったという。「温泉はヨーロッパでは貴族のもの。しかし日本では将軍から農民まで幅広く利用されていました。それは真の温泉愛好者であった徳川家の功績からでしょう」

<江戸時代>
東日本のトップは草津!江戸時代の温泉ランキング

「温泉番付」がつくられるようになったのは、庶民の生活が豊かになった江戸時代から。この頃には鰻屋、酒、仏閣など、さまざまな見立番付が出回っていたが、一番人気はやはり温泉番付。内容は全国の名だたる温泉を大相撲の番付に見立て、“効く”と評価された順番に並べたもの。江戸時代の格付けに横綱はないため、大関が最高位となる。「医療が発達していなかった時代、病を治癒できない温泉は、温泉とは呼べなかったはずです。『上州 草津の湯』は当時、大関の常連でした」

読了ライン

『諸国温泉功能鑑』/東京都立中央図書館
東西で約90の温泉が掲載。全盛期は寛政年間(1789〜1801年)から文化・文政年間(1804〜30年)とされ、明治期まで続いた。「順位は口コミ的なもので決められていたと考えられます」

 

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《完全保存版!プロ厳選のいい風呂とサウナ》
1|歴史からひも解く日本人と温泉の関係性
2|温泉好きなら知っておきたい!旅で役立つ温泉基礎知識
3|身体に合う泉質を知れば湯治効果も倍増!
4|伝統的な入浴法

text: Nao Ohmori
Discover Japan 2023年2月号「癒しの旅と温泉。」

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