ART

企画展「イサム・ノグチ 発見の道」開催
彫刻家の精髄に迫る

2021.4.19
企画展「イサム・ノグチ 発見の道」開催<br>彫刻家の精髄に迫る

展覧会「イサム・ノグチ 発見の道」が、2021年4月24日(土)〜8月29日(日)まで東京都美術館にて開催される。

20世紀を代表する芸術家イサム・ノグチ(1904-1988)は、彫刻のみならず、舞台美術やプロダクトデザインなど様々な分野で大きな足跡を残した。しかし、彼はその生涯を通じて一貫して彫刻家であり続けた。晩年に取り組んだ石彫は、ノグチ芸術の集大成というべき世界。

日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれ、アイデンティティの葛藤に苦しみながら、独自の彫刻哲学を打ち立てたノグチ。その半世紀を超える道のりにおいて、重要な示唆を与え続けたのが、日本の伝統や文化の諸相だった。例えば、京都の枯山水の庭園や茶の湯の作法にふれたノグチは、そこから「彫刻の在り方」を看取することができたのだ。

展覧会では、晩年の独自の石彫に至るノグチの「発見の道」を様々な作品で辿りつつ、ノグチ芸術のエッセンスに迫ろうとするもの。そのため、彫刻と空間は一体であると考えていたノグチの作品に相応しい、特色ある3つの展示空間の構成を試みる。

「価値あるものはすべて、最後には贈り物として残るというのはまったく本当です。芸術にとって他にどんな価値があるのでしょうか」と語っていたノグチ。展覧会において、人々が今、希求してやまない何かをその作品は示してくれるに違いない。

20世紀彫刻の巨人
イサム・ノグチ
1904年11月17日(ロサンゼルス)─1988年12月30日(ニューヨーク)。詩人の野口米次郎を父に米国人の作家で教師のレオニー・ギルモアを母に生まれる。1927年、彫刻家ブランクーシの助手を務め、自然と通底する抽象的な作品に衝撃を受け、その教えは生涯の指針となった。建築家との協働も多かったが、広島原爆慰霊碑案など実現しなかったプランも数多い。1951年、光の彫刻「あかり」の制作に着手。山口淑子(李香蘭)と結婚(56年離婚)。1967年、香川県牟礼町の石匠・和泉正敏と《黒い太陽》(1969年、シアトル市蔵)に着手。以後、和泉は生涯に渡る右腕となり、牟礼はニューヨークと並ぶ拠点となる。1968年、ホイットニー美術館で回顧展を開催。1970年、大阪万博のため噴水を制作。1985年、ニューヨークにイサム・ノグチ庭園美術館を開館。1986年、ヴェネツィア・ビエンナーレの米国代表に選出。京都賞受賞。1987年、米国国民芸術勲章受勲。1988年、勲三等瑞宝章受勲。北海道札幌市のモエレ沼公園に着手するも、心不全により84年の生涯を閉じた。

丹下健三、三宅一生、磯崎新など日本人クリエーターとの交流も深く、その生き様は多くのアーティストからリスペクトされている。1999年、牟礼のアトリエがイサム・ノグチ庭園美術館として公開。2014年、ニューヨークのノグチ財団によりイサム・ノグチ賞が創設され、杉本博司、ノーマン・フォスター、谷口吉生、安藤忠雄、深澤直人、千住博、川久保玲、蔡國強らが受賞している。

みどころ
「第1章 彫刻の宇宙」

仏教用語で「すべてのものの存在する場所」という意味をもつヴォイド(虚空)。この禅的なイメージに魅了されていたノグチは、1970年から様々な素材とサイズにより同名の連作を手がけた。実現には至りませんでしたが、高さが10mを超える巨大な《ヴォイド》を反核の象徴として制作したいとも望んでいた。

1940年代から最晩年の1980年代の多様な作品を紹介。ノグチの半世紀を超える制作活動の中核には、「彫刻とは何か?」「彫刻にできることとは何か?」という問いがあった。その生涯は数多くの「人・もの・歴史」との出会いと学びに彩られていますが、創造へと導かれる彼の「気づき」は、常に予期せぬ発見の驚きと喜びにあふれたものだった。運命的な出会いによって明示される未踏の道—彫刻芸術のあらたなる発見の道—をノグチは強い意志の力によって歩んできた。

第1章では、ノグチのライフワークである太陽と月に見立てた光の彫刻「あかり」の大規模なインスタレーションを展示室の中心に据え、《化身》(1947/72年)、《黒い太陽》(1967-69年)、《ヴォイド》(1971/80年)など、様々な展開をみせるノグチの「彫刻の宇宙」を500㎡の回遊式の会場で体感できる。

「第2章 かろみの世界」

ノグチは肉親との関係に葛藤があり、特に詩人であった父親の米次郎とは複雑な間柄。しかしその祖国である日本は、ノグチに彫刻芸術の可能性への道筋を与え続けた「親しき国」。彫刻の起源を追い求め、ヨーロッパ、南米、アジアとフィールドワークを重ねた旅のなかで、常に「創造への糧」となる学びをやめなかったノグチにとって、父の故郷は、平明さの中に深い哲学を内包し、晩年にいたるまで彼を覚醒してやまない伝統と文化をもつ国だった。なかでも日本の文化の諸相がみせる「軽さ」の側面は、ノグチが自らの作品に取り込むことに情熱を傾けた重要な要素。

第2章では、切り紙や折り紙からのインスピレーションを源泉に制作された金属板の彫刻、円筒形の「あかり」のヴァリエーション、そして真紅の遊具彫刻《プレイスカルプチュア》(1965-80年頃/2021年)により、ノグチの「かろみ(軽み)の世界」を紹介する。

「第3章 石の庭」

手を加えつつ、石本来の要素を残すという類例のない制作を展開したノグチについて、建築家の磯崎新は次のように語っている。「牟礼にきて、自然石と向き合うようになって、イサムさんのなかに大変革が起こったのだと私は考える。(中略)石の声をはじめに聞く。簡単なことに思えるけれど、そのとき自己の内部を無にしておかねばならない。これは世界が転換するほどの解げだつ脱ではじめて到達できる」。*磯崎新「イサム・ノグチ 石の声をはじめに聞く」、『挽歌集―建築があった時代へ』、白水社、2014年

制作拠点であったニューヨークと香川県牟礼町には、現在、イサム・ノグチ庭園美術館が開館している。ノグチにとって「庭園」とは、自らの彫刻の在り方を考えるうえで、最も大切なキーワード。とりわけ牟礼は野外アトリエがそのまま公開されているが、そこは単なる仕事場の領域を超えた、自らの感覚と世界がつながることのできる「特別な空間」だった。四季折々の風光が味わえる豊かな自然環境のもと、未完の作品を含め、あらゆるものが照応しあうアトリエは、空間全体がノグチにインスピレーションを与え、それ自体が作品と言い得る、聖性と啓示にみちた小宇宙=庭。「石の庭」は、まとまって東京で見られる。

終章では、長い発見の道行きの到達地である牟礼のアトリエのエッセンス、その空間の味わいに迫り、ノグチ芸術の精髄を体感いただける場を立ち上げる。

類例なきコラボレート
イサム・ノグチと和泉正敏

1964年、ノグチは日本での滞在中、香川県牟礼町で代々続く石材店「和泉屋」の三男である石匠の和泉正敏(1938-/現・公益財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長)と出会う。ノグチ59歳、和泉25歳の時のこと。若いながらも腕の立つ和泉のセンスを見込んだノグチは、その後、《黒い太陽》(1969年、シアトル市蔵)をはじめ、様々な石の作品の制作を任せ、同地に野外アトリエと住まいを構えるに至る。

二人の仕事における関係は、単なる師弟のそれとは異なる、類例なきコラボレートと呼ぶべきものだった。ノグチが和泉であり、和泉がまたノグチであるような、稀にみる協働関係の下、制作が進められていった。そして和泉との出会いは、ノグチにとって彫刻家としての最大の転換をうながすものとなった。現在、牟礼のアトリエは、イサム・ノグチ庭園美術館として公開されている。東京都美術館は、ノグチ生前のままの環境を維持し、残された作品とともにノグチ芸術の聖地というべき無比の空間を今に伝えくことを目指している。

1951年、岐阜提灯から発想を得て制作が始められた「あかり」は、和紙を通した柔らかな光そのものを彫刻とする、ノグチのライフワークとなったシリーズ。第1章では150灯もの「あかり」によるインスタレーションを展示室の中心に据え、周囲に各年代の作品を配し、回遊式の会場を構成する予定。イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)での展示風景(2018-19年)

イサム・ノグチ 発見の道
開催期間|2021年4月24日(土)〜8月29日(日)
会場|東京都美術館 企画展示室
住所|東京都台東区上野公園8-36https://www.tobikan.jp
*新型コロナウィルス感染症拡大防止に関する取り組みについては、東京都美術館ウェブサイト(上記)をご確認ください。
休室日、開室時間、観覧料|詳細は決まり次第、展覧会公式サイト等でお知らせします。
展覧会公式サイト|https://isamunoguchi.exhibit.jp/
お問い合わせ|03-5777-8600(ハローダイヤル)
*展示作品・会期・開室時間等については、今後の諸事情により変更する場合がありますので、本展特設展覧会公式サイト等でご確認ください。


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