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400年の歴史をもつ萩焼。
山口県長門市・深川萩【後編】

2020.12.8 PR
400年の歴史をもつ萩焼。<br>山口県長門市・深川萩【後編】

山口県長門市、長門湯本の街づくりに端を発し、県全体の魅力のとりこになった編集部。今回から2回の連載で掘り下げるテーマは萩焼。「一楽、二萩、三唐津」といわれ、茶陶の三傑とも呼べる存在だ。産地としては山口県萩市が知られるが、となりの長門市には、深川萩と呼ばれる萩焼の職人たちが住まう地がある。長門湯本温泉からほど近くの山間の地、地元では三ノ瀬(そうのせ)と呼ばれる谷では、職人たちがいまもその手から作品を生み出し続ける。連載2回目となる今回は、次代を担う2名にスポットを当てる。

≪前編を読む

歴史と伝統を重んじながら
新しい萩焼の在り方を模索する

「流白釉鉢」/三ノ瀬の古窯から出土した陶片から着想を得た「流白釉」。藁灰釉に松灰釉(まつばいゆう)を重ね掛けした、やや緑色の表情が美しい。古窯が現役だった頃は地元で採れる土も使用しており、流白釉の作品には大道土をベースにその土に似せて配合したものを使用している

13代田原陶兵衛の長男として生まれ、陶芸の道へ進むことは自然な流れだった。東京藝術大学と同大学院で彫刻を専攻したのは、技術よりも創作へ向かう姿勢や意識を学ぶため。「技術は追いついてくる」と考えたからだ。三ノ瀬に戻り、作陶に入ったのは2010年。次世代の萩焼界を担う若手作家としての活躍も目覚ましい。

「いまはその時々で興味のあるものどんどん試し、自分なりの方向性を模索している段階。萩焼の限定的なイメージだけでなく、自由度の高い作品も“萩焼のひとつ”として浸透させていきたいと考えています」

名門陶家の系譜を重圧と感じず、崇雄さんは伸び伸びと作陶に励む。

田原陶兵衛工房・田原崇雄(たはら・たかお)
1982年山口県長門市生まれ。2007年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。横浜美術短期大学にて非常勤助手として勤務し、'10年美濃の陶芸家・豊場惺也氏に師事。'11年より父13代田原陶兵衛に師事する。'20年日本陶磁協会現代陶芸奨励賞 受賞。現在 日本工芸会正会員

「萩焼とは何か」を追い求め、
温故知新で邁進する次世代の旗手

「萩茶盌 大道粉引」/伝統的な萩焼の胎土、大道土を主原料にする伝統技法ながら、素焼きせずに施釉して焼成。柔らかく穏やかな土味が好まれる萩焼には珍しい、焼け付いたような質感や、独特の窯変など、より土と炎の力を感じられる作品を目指す

「萩焼とは何か。その本質を探したいと思っています」。深川窯の名跡「坂倉家」の後継者・坂倉正紘さんは、澄んだ目でこう語る。

正紘さんは、作陶の道を歩み始めて以来、素材としての「土」に向かい合うために山に入るようにしているという。「山では五感が研ぎ澄まされます。動物に会うこともあるし、土を掘っていると人間は縄文の昔からこうやって土と向かい、焼き物を作ってきたのだろうなと実感できます。この土地の土だからこその魅力を作品に引き出したい」と静かな口調で話す。

 正紘さんが表現したいものは、萩焼の技法にのっとりながらも「萩焼」ではない。「いまは、萩焼を色や技法で定義するのではなく、もっとおおらかに捉えてよいのではないかと思っています」と、萩焼に対する自身の考えを語る。

さらに「父の作品が僕の中の“萩焼”です。これは坂倉新兵衛窯のオフィシャルなものとして、引き継いでいきたい」と力強く断言しつつ、「でも僕自身は萩焼らしくないといわれる、まだ見たことのない作品を作ってみたい。父から継ぐスタイルと僕のスタイル。それは似て非なるものですが、『非』ではない。両方あっていいと思っています」と笑顔を見せる。

こんな正紘さんのしなやかで強い姿勢が、また新たな萩焼の時代をいくのだろう。

坂倉新兵衛窯・坂倉正紘(さかくら・まさひろ)
1983年、山口県長門市生まれ。2007年に東京藝術大学彫刻科を卒業し、’09年に同大学大学院彫刻専攻修了。その後、京都市伝統産業技術者研修で2年間、陶芸の技術を学んだ後、’11年に父である15代坂倉新兵衛の下で作陶の道に入る

≪前編を読む

text=Nao Omori,Tomoko Honma photo=Seitaro Ikeda,Ryusuke Honda


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