妖怪と日本人の歴史
|時代によって変化する「妖怪」のあり方とは?
日本人にとって「妖怪」とはどのような存在であるのか。古代から現代まで、そのかかわりの変遷をたどってみよう。
監修=兵庫県立歴史博物館 学芸課長
香川雅信(かがわ まさのぶ)
1969年、香川県生まれ。日本ではじめて妖怪研究で博士号取得。日本民俗学が専門で、研究テーマは妖怪と玩具。『妖怪を名づける 鬼魅の名は』(吉川弘文館)など著書多数。
変化する「妖怪」のあり方
漫画『ゲゲゲの鬼太郎』やアニメ『妖怪ウォッチ』をはじめ、妖怪は現代の日本人にとって親しみのある存在だ。座敷わらし、雪女といった名を耳にしても、妖怪の画像が頭に浮かぶだろう。だがそれらはキャラクター化された妖怪の姿。いまの日本人が抱く妖怪の印象と実際の伝承は、そのほとんどがまったく異なると「妖怪博士」の異名をもつ香川雅信さんは言う。
「現代では富をもたらすとされている座敷わらしは、実は裕福な家に取りつき、家人を金縛りにする妖怪。作家・小泉八雲の『雪女』は小説上の創作で、元は雪の日に現れて人を驚かす巨大な女の妖怪でした。妖怪のイメージが大きく変容したのは江戸時代で、そこには人間の自然のとらえ方がかかわっています」

葛飾北斎『百物語・さらやしき』江戸時代/東京国立博物館蔵
元来、妖怪は「不思議な出来事を説明する概念」で、根底には人間の自然に対する畏怖がある。古代ではひとくくりに「神」とされ、『日本書紀』には人を病気にし、山中で道を迷わせるような「邪しき神」と記される。同時に「鬼」との記述もあり、神と並んで霊的存在を意味していた。奈良時代には不思議な出来事を起こすものとして「狐」が登場。平安時代には「天狗」、その後やや遅れて「狸」が加わっている。古代・中世まで「不思議な現象」は主にこれらの仕業とされ、なんらかの厄災の予兆と考えられることもあったという。
「江戸時代には、幕府の方針で妖怪を凶兆と結び付けなくなります。そして妖怪はリアリティを失い、知と好奇の対象へと変化しました。妖怪の種類が増加した“妖怪のカンブリア爆発”が起こったのもこの頃です」

そこで最初に大きな役割を果たしたのが俳諧だ。俳諧師らにより各地の妖怪の伝承が収集、共有され、妖怪の名称の増加につながった。その後、画家・鳥山石燕が妖怪を描いた『画図百鬼夜行』でキャラクター化した姿が浸透。さらに閑散期となる夏の芝居小屋で上演した鶴屋南北作の怪談狂言が人気を博し、「夏は怪談」の概念が定着する。そして玩具や落語など多様な分野で、妖怪文化は恐怖を楽しむ娯楽として花開いていく。
「妖怪が新たなリアリティを獲得したのが明治時代です。これまで畏怖の対象だった自然が、科学の発展である程度解明されたこともあり、主な妖怪は人間に対する恐怖から生まれる『幽霊』になりました。そして欧米のスピリチュアリズムが日本に入り、幽霊は科学的な匂いをまとっていくのです」
時代とともに在り方を変えてきた妖怪。今後、妖怪と日本人の関係性はどうなっていくのだろう。
「伝承の中にのみある妖怪はほぼ認知されなくなったと考えられます。しかしキャラクター化した妖怪は、この先も日本人と共存していくでしょう」
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text: Nao Ohmori
2026年7月号「納涼、しましょ。」































