粉雪のような細かな気泡が魅力
横山秀樹さんの「ガラスボウル」
ただいま、ニッポンのうつわ
自分の料理や暮らしに合ううつわを求め続けて、高橋みどりが最近気になっているのが、ニッポンのうつわ。背景を知ると、使うのがもっと楽しくなることを伝えたい。今回は、計算では作れない自由気ままな出来栄えに惹かれる「横山秀樹さんのガラスボウル」を紹介します。
高橋みどり
スタイリスト。1957年、群馬県生まれ、東京育ち。女子美術大学短期大学部で陶芸を学ぶ。その後テキスタイルを学び、大橋歩事務所、ケータリング活動を経てフリーに。数多くの料理本に携わる。近著に『ありがとう! 料理上手のともだちレシピ』(マガジンハウス)など
横山秀樹さん
1950年生まれ。1973年、倉敷民藝館で吹きガラスの小谷眞三の仕事に出合う。以来弟子入りを志願し続け、1977年、勤めを辞め倉敷に移住し、師事。1987年に独立、故郷の福岡県飯塚に窯を築き吹きガラスを制作。
伸びやかで、生命の息づかいを感じるかたちに、思わずそこに包まれるようなものを盛りたくなった、という高橋さん。遠目には粉雪を散らしたようにも見えるのは、無数の細かい気泡だ。
横山秀樹さんは、毎日窯に点火し、蝋燭ほどの小さな炎を、ガラスを溶かす高温まで上げていく。師匠の小谷眞三さん譲りの方法だ。幼い頃から物作りが好きで、「せっかち」だから、数分で勝負が決まる吹きガラスは向いていると思ったという。しかし手先が器用でも、吹くのに「手は使えない」。師匠に竿を持たせてもらった途端、操る難しさに直面する。断られ続けても、半ば押しかけて弟子入りした以上、後には引けない。独り試行錯誤を重ねてきた師匠から学んだ吹きガラスは、その日の窯や生地の状態次第で、一つも吹けない日もある。でも思い通りにいかず四苦八苦するからこそ、面白く続けてこられたと横山さんはいう。
このボウルは宙吹きし、坩堝の中で仕上げる。「蛸壺ほど」の坩堝に入るぎりぎりのサイズだから、少しでも大きく吹けば失敗、収まることばかり考えて吹けば、どこか縮こまってしまう。そのせめぎ合いから、「計ったようではなく自由気ままに出来あがったような」と高橋さんが感じたかたちが生まれる。物作りの原点は「繰り返し」。調子が落ちたときは基本の食器を繰り返し吹いて、リズムを取り戻す。師匠もそうだったはずだ、と横山さん。ガラスが「なりたいかたちになった」ような無理のないうつわ。その姿が、使い手の想像力をかきたてる。
横山秀樹さんのガラスの基礎知識
倉敷ガラスのはじまり
倉敷でクリスマスツリーに飾るガラス玉を吹いていた小谷眞三は、1964年、接骨医で岡山県民藝協会会員の坪井一志から懇願され民藝の心にかなう手吹きのコップ制作に取り組み、試行錯誤の末、完成させる。
外村吉之介と小谷眞三の仕事
小谷眞三のコップは、倉敷民藝館初代館長の外村吉之介(1898〜1993)がメキシコから持ち帰ったコップを見本にした。外村はその完成を喜び、小谷の仕事を「倉敷ガラス」と命名。支援と販路開拓につとめた。
横山秀樹さんの吹きガラスの気泡
発泡剤などは使わず、油をつけた鉄竿でガラス生地をかきまぜることで泡立てる。生地の温度が高いと大きな泡ができる。満足に気泡が立つのは溶かした生地の約半量まで。油の黒い燃え滓が混ざらないように吹く。
text : Akiko Nariai photo : Yuichi Noguchi
Discover Japan 2018年8月号「あの憧れの楽園へ。」