TRADITION

〈小野小町〉
恋多き日本随一の小悪魔女子?!
百人一首の女流歌人図鑑

2024.6.21
〈小野小町〉<br>恋多き日本随一の小悪魔女子?!<br><small>百人一首の女流歌人図鑑</small>

日本の美しい原風景や歌人たちの心を感じられ、古典を気軽に楽しめるツールでもある百人一首。平安を中心にこの時代の日本文学界は女性の活躍が目覚ましく、百人一首には21人の女流歌人が選ばれている。

今回紹介するのは世界三大美人のひとり、小野小町。美人と名高いのは和歌の上手さが理由だった?!あらためて知っておきたい小野小町の人物像や作品、ゆかりの地をひも解こう。

美人と言えば小野小町?

『百人一首繪抄 九 小野小町』

「世界三大美人」という言葉を聞いたことがあるだろうか? エジプトの女王・クレオパトラと中国の皇帝の愛妾・楊貴妃、そして小野小町を指す。もちろんこれは日本でだけ言われてきた三大美人ではあるが、そのくらい日本では「美人と言えば小野小町」というのが、常識だった。

しかし小野小町は美人として名高いだけではない。彼女が生きた平安時代は、男女が直接顔を合わせることは、よほど親しくなってからこと。御簾ごしに和歌のやり取りをするのが、男女交際の大部分であるため、和歌が上手であることが、まずモテの第一条件だった。小野小町はその点でも非常に優れた歌人であり、実際に小野小町の顔や姿を見た人は多くなくても、その美しい和歌から「こんな美しい歌を書く人だから、絶対に美人に違いない」と、多くの男性が憧れたのだ。

小野小町とはどこの誰か?

鳥居清長『小野小町』

小野小町はその名前からわかるとおり、小野一族の娘。小野氏とは、大和朝廷時代に遣隋使として活躍した小野妹子につながる一族で、中には能書家として知られる小野道風などもいる。小野小町は九世紀ごろ宮廷に仕えた更衣の一人らしい。

しかし仕えていた天皇が仁明天皇か文徳天皇のどちらかもはっきりしないほど、実人生を知る手がかりのない人物なのだ。紫式部や清少納言のように、その才を買われて出仕したというわけではなく、宮廷人たちとの和歌のやり取りでその才能を多くの人に知られることとなった。

紀貫之、藤原公任という、その時代を代表する文化人が選んだ「六歌仙」「三十六歌仙」の両方に選ばれている歌人は、百人一首の中でもわずか三人しかおらず、女性は彼女一人。「古今集」「後撰集」「新古今集」にもそれぞれ18,4,6と複数の歌が選ばれている。もっとも後撰集や新古今集に選ばれている、小野小町作とされる和歌は、実は詠み人知らずの作品で、それを「小野小町という名歌人なら作りそう。この人の作として採用しよう」ということになったのではないかという説がある。

恋の歌を多く読んだ=恋多き女性の代表に

鳥文斎栄之『風流七小町・あふむ』

百人一首に取り上げられた「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」という歌は、古今集の春の歌を集めたところに収録されているので、「花の色」の花は桜を指す。しかしただ単に桜のことを詠んでいるのではなく、花とは女性、小野小町自身を指し、花の色=小野小町の女性としての容貌、容色という意味を含んでいると解釈される。

また「世にふる」のふるは(雨が)降る、(時間が)経る、さらに「ながめ」は長雨と眺め、このようにいくつかの言葉が掛言葉になっていて、一つの歌でありながらいくつかの意味を感じさせる、奥行きのある内容となっている。桜の色がむなしく褪せてしまった、私が物思いにふけっている間に…といった情景を詠いながら、自らの容色の衰えに気づき、特になんということもなく生きているうちにこうなってしまったと、嘆いているような意味にもとれる。

男の純情を踏みにじる悪女?

卒塔婆小町坐像

古今集に収録されている小野小町の歌は「花の色は~」のように、自然の情景に託して恋愛を詠ったものが多く、また男性との贈答歌もあるため、小野小町=恋多き女というイメージは早くから生まれていた。平安末期(中期とも)に成立した「玉造小町子壮衰書」という作品は、小野小町が主人公とは、明記していないが、小野小町の人生を描いたものとしてとらえられている漢詩文。若いころに栄華を極めたが、結局は落ちぶれた老婆が、最終的に仏道に帰依するという内容で、能「卒塔婆小町」の元ともいえる作品だ。

小野小町に恋焦がれて、小町から「あなたの愛が本物なら、百日通ってきてください」と言われて、雨の日も風の日も通い続け、とうとう百日を目前に死んでしまった、深草少将のエピソードが有名だが、これももちろん事実ではなく、物語の中の話。しかしこうした小野小町を主人公にした物語があまりに有名になりすぎて、小野小町は「美貌を鼻にかけて男を振り回し、そうしているうちに自慢の美貌も失われ、落ちぶれ果てて失意のうちに死んだが、愛をささげたのにつれなくされた男たちの恨みで、死んでなお苦しみつづける」といった、悪女の因果応報物語の主人公になってしまった。

小野小町ゆかりの地
「随心院」は恋愛のパワースポット

落ちぶれた小野小町は放浪の旅に出たという伝説もあり、またどこの生まれであるかもはっきりしないため、日本の各地に「小野小町ゆかりの地」がある。

隨心院に伝わる小野小町伝説を主題とした「はねず踊り」の様子。はねずとはうす紅色を指す

その中で最も有名なのが京都の随心院だ。所在地の山科区小野という地名からもわかるとおり、随心院があるのは小野氏のゆかりの地。真言宗の寺院で、平安時代に仁海僧正によって開かれ、小野小町が晩年を過ごした跡地に建立された。その名残として、彼女の屋敷にあったと伝えられる「化粧の井戸」や、小野小町が多くの男性たちからもらった手紙千通が埋められているという「小町文塚」がある。ちなみにこの「小町文塚」に詣でると、恋がかなう、またラブレターがうまく書けるといわれており、今も多くの人がそのご利益を求めて詣でている。

読了ライン

小野小町の屋敷にあったと伝えられる「化粧の井戸」
「小町文塚」には小野小町が多くの男性たちから送られた手紙千通が埋められているという

隨心院
住所|京都市山科区小野御霊町35
Tel|075-571-0025
https://www.zuishinin.or.jp

ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)
大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。

百人一首の女流歌人図鑑

紫式部

小野小町

清少納言

photo=隨心院、国立国会図書館デジタルコレクション、ColBase
参考文献=図説 百人一首(河出書房新社)、百人一首(全)、(角川ソフィア文庫)、玉造小町子壮衰書(岩波文庫)、能楽鑑賞多言語字幕サービス、能サポ

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