森と生きる
やんばるの森と島袋正敏さん
沖縄本島北部名護市の東海岸、やんばる(山原)と呼ばれる深い森で暮らしてきた島袋正敏さんは、先祖代々受け継がれてきた自然との共存を、そのままのかたちで暮らしに刻み続けて、孫世代につなごうと動いている。彼の生き方は、便利さと効率を追求する現代人に、何を問い掛けているのだろうか。
島袋正敏(しまぶくろ まさとし)
通称セービンさん。名護博物館初代館長。地域に受け継がれる文化を学び共有する場として「黙々100年塾 蔓草庵」を主宰。泡盛仙人とも呼ばれ、泡盛の百年古酒を後世につなぐ山原島酒之会会長も務めた。
森は暮らしを支える
生活の糧

1950年代から60年代に、祖母を含めた12人の大家族で育ったセービンさんの幼少期は、人と森の境界線があいまいで、自然と一体化した暮らしがあった。
朝、目覚めると子どもたちは床を上げて雑巾掛け。小さい子は庭の掃き掃除、小中学生はンム(甘薯)を掘り、天秤棒にターグー(一斗缶)を担いで、自宅から50mほど山を上って湧水をくみに行く。周辺の草を刈り取り、馬やヤギ、鶏への餌やりも子どもたちの仕事だ。その後、母がつくるカンダバー(甘薯の葉や茎)入りの味噌汁とンムを食べて学校へ行く。
市街地とは山で分断されたセービンさんたちが住む地域に電気が通ったのは、1964年、東京オリンピックの年。それまでは石油ランプの生活で「早く寝なさい」という母の声は燃料節約のためだった。勉強机はなく、箱膳ひとつを置いて宿題をする。小学校の4、5年生頃になると膝にもたれるセービンさんに、母が新聞を読んで聞かせてくれた。暮らしは貧しかったが、父の方針で新聞は欠かさず、戦後は『家の光』と『文藝春秋』を購読していた。
「そうめんや缶詰、親父の酒以外は、
ほとんど自給するわけです。」

セービンさんの家庭では、ンムやサトウキビ、大豆の栽培に加え、堆肥農業で稲作を行っていた。自宅のユウナ(オオハマボウ)やハイビスカス、ガジュマルなど、あらゆる木の枝や葉を刈り取り、緑肥として田んぼに投入する。台風時には山から木を切ってつっかえ棒にし、戸板と木を結んで固定して家を補強した。
「海や畑に持っていく道具は、どこのおじさん、おばさん、おじいもおばあも、みんながつくっていた。1週間後に亡くなるかもしれないほどの年寄りも働いていたから。認知症になっていた高齢者の記憶はないですね」
1960年代初頭までは薪や竹は、屋敷の垣や茅葺きをつくる材料として中南部地域へ出荷する重要な収入源だった。

セービンさんの中で、父は道具づくりの名人として鮮明に記憶に刻まれている。「家は親父が地元の人たちと一緒に建てました。昔はどんなに貧しくても家だけはゆいまーる(助け合い)でつくったんです。 親父は鍬や包丁の柄もこしらえて、ノコギリの目立てまでやっていました」。
漁も父の得意分野。大潮には海に潜り、魚やタコ、伊勢海老を捕ってきた。セービンさんは川に仕掛けた罠で捕れた鰻を持ち帰り、泡盛で晩酌する父を喜ばせた。
自然とのよりを
取り戻す暮らし

「この地域では、子どもが生まれるとセンダンの木を植えたんです。年頃になると、その木を切り出して乾燥させておき、いつでも新築の建材にできるよう準備しました。娘がいる家庭では、家具にして、嫁入り道具として持たせます」
セービンさんはいまなお、こうした地域の風習を大切にしている。
彼が生まれ育った森と人との関係は、現代の自然保護やエコツーリズムとは根本的に異なるものだった。それは保護や支配ではなく、互いに依存し合う共生関係である。人々は森から必要なものをいただく一方で、森を育て、手入れも行っていた。堆肥として山の葉を使うことは、森の新陳代謝を促すことでもあった。
セービンさんがもつ木の性質への深い理解や薬草の豊富な知識、季節の移ろいをいち早く感じ取る繊細な力、これらすべてが、森との長いつき合いの中で培われた「じんぶん」(知恵)だ。

現在、セービンさんは先祖代々の土地に「黙々100年塾 蔓草庵」を構え、地域の人たちが暮らしのじんぶんを学び、自然とのつながりを見直す場としている。
「ここの建材には、電柱工事のときに電線を巻くケーブルドラムをもらってきました。床柱になる木なんてなかなか手に入らないんですよ。いまは廃材を簡単に捨ててしまうけど、木が成長するまでに、どれほどの歳月がかかることか。僕は、物を捨てるということは、道具としての命を絶ってしまうことだと思うから、徹底して廃材を使いますよ」
セービンさんの元には、地域に受け継がれる道具のつくり方を学びたいと、多くの人が訪れる。
「セービンさんは、技だけを教えているわけではありません。私たちは、自然と共生する本質を学んでいる気がします」と、約10年通う仲間あずみさんは話す。

「僕のコンセプトは、地域を元気にすることです」とセービンさん。その背景には、現代社会への問題意識がある。
「周囲に目を向ければ、限りなくそこにあるものを、お金を出して食卓に並べる。ほんとにそれでいいのかと、首をかしげることがあってもいいと思うんですね。この先もIT化を止めることはできないでしょう。ですが、そこだけに人々が集中して突き進むことが、地域社会や地球上で起こっているさまざまな問題を克服することにつながるのでしょうか? AIの 発達によって、人間の思考がなくても、物が出来上がる時代です。しかし、どんなに時代が変わっても、子どもたちを育てる環境や食文化を考えるとき、自然とのよりを取り戻すという方向性だけは忘れてはいけないと思います」
セービンさんは森との関係を通して、自然と人とが対立するのではなく、ともに生きるヒントを教えてくれる。技術の進歩は止まらないが、森の記憶を紡ぎ続けるその姿は、本当の豊かさとは何かを問い掛けている。「買わない暮らし」から学ぶべきことは深い。
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≫やんばるでつくり継がれる伝統工芸《黙々100年塾 蔓草庵》で暮らしの道具に出会う
text: studio BAHCO photo: Chotaro Owan
2025年9月号「木と生きる2025」






























