とらやはパリで「TORAYA」になる
日本を代表する和菓子の老舗が世界で大奮闘!
とらやが国民的な菓子ブランドとして絶大な信頼を得ているのはなぜか。それは、約500年も続く伝統にあぐらをかかず、時代が求めるものや異なる文化を尊重し、和菓子の先の日本文化を発信し続けてきたからだ。室町時代後期に京都で創業したとらやが、パリでは「TORAYA」として愛されている。そこには、今を大切にし、異国の文化を尊重するとらやの姿がある。
創業地の京都で御所御用を勤めてきたとらや。御所や公家などの御用達として、古くから確固たる信頼を築き上げていた。にもかかわらず、とらやは常に新しい挑戦をしてきた。
明治維新の折は、天皇にお供するかたちで東京へも進出。関東大震災の後に店頭販売を開始し、戦後は百貨店に出店するなど店舗を広げる一方で、菓子資料室 虎屋文庫の設立、パリ出店など和菓子文化の発信に力を注ぐ。
16代店主・黒川光朝は1979年、パリの国際菓子博覧会をきっかけに、「パリに店を」の思いを強くしたという。博覧会では和菓子ばかりか、背景にある日本の文化や生活にまで関心が及んだのだ。光朝は「和菓子こそ日本文化の理解を助けてくれる」と確信。翌年、パリの街にとらやの暖簾が掛けられた。
パリではハプニングの連続だった。まず、日本独特ののれんは宣伝の一種だと思われ、街の美観を損なうと難色を示された。素材の調達も大変だ。砂糖ひとつとっても、てんさい糖が主流のフランスにざらめや和三盆糖はない。日本から持ち込もうにも、必要性をフランス当局に理解させるのにひと苦労したという。小豆を煮ると、その匂いに住民からクレームが出た。羊羹を見て「黒い石鹸か?」と聞いてくる客もいたという。
石の上にも3年というが、3年経っても現地の人との距離は縮まらない。そこで、フランス人の文化や嗜好も尊重した新しい和菓子の開発がはじまる。最初にかたちになったのが1984年の「羊羹de 巴里」だ。小ぶりで愛らしい、きれいな色の羊羹はパリの人たちの心をつかんだ。
現在、店に通うお客の7~8割は地元の人で、小さな子どもの姿もある。人気の「フルーツ羊羹」は、洋梨やあんずなど、フランスでなじみのある食材とあんを組み合わせたもの。お客にとって和菓子かフランス菓子かは関係なく、美味しいかどうか。
現地の素材を取り入れながら新しい和菓子を開発することの大切さ、また、本当に美味しいものであれば受け入れられることを学び、このパリでの経験が後のとらやのブランディングに影響する。
余談だが、パリ店出店の経験は、とらやに多くの改革をもたらした。1991年に取り入れた育児休業制度もそのひとつ。当時の日本では法律も整わない中での導入だったが、常に時代が求めるものに向き合うとらやの姿勢が表れている。
文=増本幸恵 写真=増川浩一
とらや
創業|室町時代後期
Tel|03-3408-4121(代)
https://www.toraya-group.co.jp/
とらや パリ店
住所|10, rue Saint-Florentin 75001 Paris FRANCE
Tel|+33(0)1 42 60 13 00
営業時間|10:30~19:00
定休日|日曜、祝日