《マルニ木工》のデザインから日本の歴史が見えてくる?!
1928年、まだ日本に椅子などの西洋家具が普及しない頃、広島県・廿日市で、「マルニ木工」の家具づくりははじまった。独自の曲木技術に加えて「工芸の工業化」というモットーを掲げ、時代とともに変わりゆくライフスタイルに寄り添い続けた95年を家具の変遷とともにたどる。
時代の一歩先を見つめた
暮らしに寄り添う家具
マルニ木工のルーツは、創業者・山中武夫が生まれ育った広島・宮島にある。世界遺産の嚴島神社に代表される宮島は、鎌倉時代に神社を建てるために全国から大工や指物師が集まった影響もあり、宮島細工などの木の持ち味を生かした伝統工芸が盛んな島だ。現在はレストランとなっている山中の生家を訪れると、残された美しい建具から、いかに優れた技術に囲まれて育ったのかがわかる。彼は、一本の木が人の手によって複雑かつ美しくかたちを変える不思議さに魅了されたという。
1900年代初頭の家具は、贅沢な工芸品。そこで山中は、職人が手作業でつくるような工芸品としての家具を機械で量産できれば、質の高い家具を届けられると考えた。それは、日本の暮らしの一歩先を見据えた考えだった。山中は、ヨーロッパの家具メーカーの技術を参考に、木材を曲げる技術を確立。さらに独学で機械や家具づくりの勉強を重ねていった。そうして’28年にマルニ木工の前身「昭和曲木工場」が創業。職人の手によらない分業による家具の工業生産を目指して生まれた商品の第1号が、同年発表の「曲木椅子」だ。曲木椅子は、その新しいかたちと価格でヒットした。続けて角椅子と総称された「38号」、国鉄に多く納められた「113号(鉄道回転)」など、曲木技術を取り入れた椅子を次々とリリースした。
第二次世界大戦により一度は製造を止めていたが、戦後の日本に訪れた欧米化の流れに乗り、進駐軍の家具製造で成長。様式家具を本場の人に向けてつくることで、技術力を養った。その後の高度経済成長とともに生産能力も拡大。生活の豊かさを反映するように、より華やかなデザインの様式家具が生まれた。中でも’68年に開発したトラディショナル家具は、日本の様式家具史上で最大ヒットを呼んだ。しかし、’90年代に中国製の安価な家具が流通し、経営は大きく傾いていく。いよいよ倒産の文字が見えた頃、踏ん張るチャンスをくれたのは、地元広島でともに頑張る各企業からの融資と、「続けないかん」という激励の言葉だった。ここで一度、木製の家具という原点に立ち戻って新しく取り組んだのが、国際的な外部デザイナーとの協業「nextmaruni」と、「MARUNI COLLECTION」の発売。当時珍しかったデザイナーズ家具が、いまでは“世界のマルニ”として知られるまでになった。
読了ライン
マルニ木工 年表
593年 「嚴島神社」創建
1928年 前身の「昭和曲木工場」設立/「曲木椅子(銀行椅子)第1号」を製作
1930年 「38号(別名サンパチ)」を製作/「113号(鉄道回転)」を製作
1944年 木製尾翼の試作を行う
~太平洋戦争~
1946年 進駐軍宿舎用家具「カードチェア」を製作
~戦後の復興~
1950年 「38号新生椅子」を発売
1952年 「210号折りたたみイス、310号テーブル」を発売
1953年 「65号応接セット」を発売
1955年 「オアシス」を発売
~高度経済成長期~
1958年 「No.35デラックス型小椅子」を発売
1960年 「No.79応接セット」を発売
1966年 「No.267応接セット」を発売
1967年 「エジンバラ」を発売
1968年 「ベルサイユ」を発売
1971年 「ショパン」を発売
~オイルショック~
1974年 「アンドリュー」を発売/「エドワード」を発売
1977年 「アン」を発売
1979年 「地中海」を発売
1984年 「マーニー」を発売
1988年 「地中海ロイヤル」を発売
1989年 「ケントコート」を発売
~バブル崩壊~
1993年 「グレース」を発売
2004年 「ブリタニア」を発売
2005年 「nextmaruni」を発売
~リーマンショック~
2008年 「MARUNI COLLECTION」を発売/「n(エヌ)」を発売
2010年 「F-UNIT」を発売
2012年 「アトリエ」を発売
2015年 「レーヌ」を発売
マルニ木工の名作コレクション
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text: Akiko Yamashita photo: Shimpei Fukazawa
2023年6月号「愛されるブランドのつくり方。」