いま、私たちは親鸞に惹かれています。(前編)
浄土真宗の宗祖である親鸞は、スーパーマン空海とは対極にいる存在なのかもしれない。「憧れ」ではなく「救い」。
その思想と生き方に惹かれている、連続起業家・家入一真さんと僧侶・松本紹圭さんによるオンライン対談が実現!「親鸞と自分」について、なぜいま、私たちには親鸞が響くのか……? 存分に語ってもらいました。
【PROFILE】
家入一真さん(写真・右)
連続起業家。CAMPFIRE代表取締役CEO。1978年生まれ、福岡県出身。「誰しもが声をあげられる居場所をつくる」をテーマに、「リバ邸」や「やさしいかくめいラボ」など、さまざまな事業を展開する。元引きこもり。
Twitter: @hbkr
松本紹圭さん(写真・左)
1979年、北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。東京大学文学部哲学科卒業。寺の朝掃除の会「Temple Morning」を広める。著書に『お坊さんが教える心が整う掃除の本』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)ほか。
Twitter: @shoukeim
文:根岸達朗 / 写真:服部希代野
※この記事は2019年4月5日に発売したDiscover Japan5月号特集『はじめての空海と曼荼羅』の記事を一部抜粋して掲載しています。
親鸞はインターネット⁉
家入:まず、僕が親鸞に興味をもったきっかけは、友人の死だったんです。自分でどう感情を処理していいかわからなくなって死とは何かを考えるようになったときに、たまたま親鸞の生き方を知りました。親鸞について勉強をしていくうちに、親鸞の生き方にこれまでの自分が考えてきたことや、向き合ってきたこととすごく近いものを感じて……。
松本:親鸞に救いのヒントがあったと。どんなところに興味をもったんですか?
家入:親鸞は、インターネットを体現しているんです。ネットは世の中のいろんなものごとを民主化しましたが、親鸞もまた、仏教をネット的に民主化したと僕は考えています。
松本:なるほど。救いを民主化したという点でいえば、親鸞はそれまで貴族や僧侶など限られた人たちの救いの道であった仏教をあらゆる層の人たちに開いた人のひとりといえますね。戦や飢饉が続き、人々が苦しんでいた戦乱の時代に「念仏ひとつで誰でも救われる」と説いた、師である法然の教えをひたすらに信じたのが親鸞です。ですから「教え」の上で仏教を最初に民主化したのは法然といえるでしょう。
家入:うんうん。そうですよね。
「親鸞は、僕のライバルです。」
松本:じゃあ親鸞は何が違うのか。それは親鸞の「生き方」にあります。当時、仏教の僧侶はいわゆる「肉食妻帯」といって肉を食べることや妻をもつことは許されていませんでしたが、親鸞は自らの煩悩をごまかしませんでした。結婚について師である法然の「そうしたほうが念仏を申せるならすればいいし、そうでなければしなければいい」という言葉にも後押しされたのでしょう、結婚することを選びました。
家入:そういう実践を伴った生き方が救いなんですよね。
松本:親鸞は師の教えを変えたというわけではなくて、師である法然の教えを大事にして、生きていました。僧侶としての在り方を生涯捨てることのなかった法然と生き方のアプローチが違うだけで、念仏を称えることが救いへの道であるという考えにおいては一貫しているんです。それを言葉だけではなくて、生き方で体現しているところが素晴らしい。
家入:僕は親鸞の生き方のそれを「阿弥陀プラットフォーム」と呼んでいます。というのも、僕はこれまでCAMPFIREやBASEなどのプラットフォームを通じて、個人が声を上げられるようにしたり、小さな声が社会に届けられる仕組みをつくってきました。みんなが救われるプラットフォームをつくるという点で、親鸞は僕と同じことをやっていると思っていて……。おこがましいかもしれませんけど。
松本:家入さんは親鸞はライバルとおっしゃってますからね(笑)。
ふたりの対談は誌面でも読めます!
家入一真さんと松本紹圭さんの対談をはじめ、親鸞については、Discover Japan5月号 特集『はじめての空海と曼荼羅』にてさらに詳しく紹介しています!
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