妖怪と日本人の歴史 〈近世〉
|江戸の妖怪ブームとは?
日本人にとって「妖怪」とはどのような存在であるのか。古代から現代まで、そのかかわりの変遷をたどってみよう。今回は近世の妖怪と日本人の関わりについて兵庫県立歴史博物館 学芸課長の香川雅信さん監修のもと迫っていく。
監修=兵庫県立歴史博物館 学芸課長
香川雅信(かがわ まさのぶ)
1969年、香川県生まれ。日本ではじめて妖怪研究で博士号取得。日本民俗学が専門で、研究テーマは妖怪と玩具。『妖怪を名づける 鬼魅の名は』(吉川弘文館)など著書多数。
Q. 江戸の妖怪ブームのきっかけは?

月岡芳年『新形三十六怪撰』「おもゐつゝら」1892(明治25)年/国立国会図書館デジタルコレクション
A. 旅する俳諧師たちが作品に詠んだこと
18世紀になると、松尾芭蕉に倣って旅をする俳諧師が増加。句作の参考にするために旅先でさまざまな伝説や奇談を聞き集めたことで、地方の妖怪伝承が広く知られるようになったのだとか。
Q. 江戸時代の人々にとって、
妖怪とは?

北尾政美『夭怪着到牒』1788(天明8)年/国立国会図書館デジタルコレクション
A. 恐怖心と好奇心をくすぐられる存在
古代・中世では不思議な現象が警告する意味を判定し、災いを未然に防ぐために神仏に働きかける危機管理システムが働いていた。しかし江戸幕府はそれを継承せず、禁止に。不思議な現象は日常化、凶兆を示すものではなくなり、安定した江戸時代の社会において、妖怪は知と好奇の対象になっていったという。
Q. 妖怪や怪談はどのように楽しむものだった?

A. 学問の発展や政治で流行も変化!
香川さんによると江戸時代の妖怪文化は享保の改革、寛政の改革、天保の改革の時期で区分できるという。第1期は博物学的な思考が広まり、鳥山石燕『画図百鬼夜行』や「黄表紙」などで妖怪がキャラクター化。第2期は幕府による綱紀粛正により「黄表紙」が衰退するも、仕掛けを用いて恐怖を演出する歌舞伎・怪談狂言が流行する。そして第3期は風刺画や玩具などに妖怪が取り入れられていった。
① キャラクターとして眺める

鳥山石燕が描いた雪女。石燕は『画図百鬼夜行』などの妖怪図鑑を世に出し、日本人にお馴染みの妖怪を多く描いている。
② 歌舞伎や狂言など、怖い演出を楽しむ

鶴屋南北作の怪談狂言『東海道四谷怪談』。「隠亡堀の場」の見せ場である戸板返しを、歌川国貞(三代豊国)が描いた浮世絵。
③ 妖怪モチーフの玩具で遊ぶ

子どもたちが百物語に興じる場面を「ふりだし」とする妖怪すごろく。みこし入道やろくろ首など人気の妖怪が登場する。
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text: Nao Ohmori
2026年7月号「納涼、しましょ。」































