福井《敦賀市立博物館》
旧銀行建築で港町の歴史を伝える
|体験できる近現代名建築
既存の建築を生かしつつ、用途を変化させて活用する「コンバージョン」。育まれてきた歴史と現在の営みが重なる空間に滞在することで、その地域の風土に出合う。そんな建築の再生・活用事例を建築史家の倉方俊輔さん監修のもとご紹介。今回は、福井県にある「敦賀市立博物館」を紐解いていく。
文=倉方俊輔
大阪公立大学大学院工学研究科教授。日本近現代の建築史の研究と並行して、建築イベント「東京建築祭」の実行委員長を務めるなど、建築の価値を社会に伝える活動を行う。『建築を楽しむ教科書』(ナツメ社)など著書多数。
港町を支える銀行から博物館へ

1階のロビーカウンター(写真)や、天井の高い営業室、3階で公会堂の役割を担っていた講堂などは、展示室に生まれ変わった。地下にある金庫室は分厚く頑丈な扉を生かし、現在は博物館倉庫(非公開)として利用中
敦賀港から市街地へ向かう道を進むと、立派な建物が現れる。現在は「敦賀市立博物館」として使われているが、1927(昭和2)年に「大和田銀行本店」として完成した建築である。港町として発展してきた福井・敦賀において、金融と交易の要を担う拠点だった。
左右対称を基本とした立面は、街路に対して明確な軸をつくり、銀行建築に求められた信頼感をかたちにする。竣工当時の敦賀港は、日本海側有数の国際港として機能していた。北前船の寄港地であり、鉄道の開通によって人と物の流れが集まる場所でもあった。大和田銀行本店は、こうした港町の経済活動を金融面から支える拠点として計画された。

正面から中に入ると、1階には大きな空間が広がる。銀行時代の営業室で、天井は高く、柱の間隔も広い。大理石を用いたカウンターや、厚い壁に囲まれた大金庫が残されており、確実に業務を行うための構成をいまに伝える。

統一したデザインの調度品、壁に施された腰板の高さからも、格式の高さが伝わる、2階の貴賓室。隣にはビリヤード台が設置された撞球室も
2階は重要な来客を迎える階で、最も広い部屋にはかつてビリヤード台もあった。貴賓室は特に手の込んだつくりで、大和田銀行時代のじゅうたんや壁布、家具類を元に、当時の姿に復元されている。
さらに3階は、公会堂として市民にも開放されていた階で、当時は全面が畳敷きだった。舞台も備え、銀行建築でありながら、地域の集会や催しを受け止める役割を担っていた。当時のエレベーターもいまなお残っている。
市民のために開かれていた
公会堂や食堂

建設されて以来約50年もの間、銀行として使われてきた。1階には銀行カウンター、2階には撞球室、3階には講堂、地下1階には食堂などもあり、創業者の「市民に親しまれる」場所にという想いを体現している
地下には銀行時代に食堂も設けられていた。1892(明治25)年に大和田銀行を創設し、敦賀の発展に大きく寄与した大和田荘七は、この本店の計画にあたり、市民のための公会堂や食事の場を組み込んだ。厳格な印象をもたれがちな銀行に、街の公民館のような居場所を合わせた点は、当時において珍しい。建設当時、この建物が「敦賀の摩天閣」と呼ばれたのも、街の期待を一身に集めていたからだろう。
1977年にこの建物は敦賀市へ寄贈された。翌1978年には「敦賀市歴史民俗資料館」として公開され、1993年に現在の「敦賀市立博物館」へと名称を改めている。港町の近代を支えた建築は、現在、都市の歩みを読み解く場となっている。街路から正面に立ち、内部をめぐる。その一連の動きの中で、金融、交易、公共という役割を引き受けてきた建物の構成が、敦賀という都市の成り立ちを浮かび上がらせる。
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〈概要〉
1927年に「大和田銀行本店本館」として竣工した建物。銀行として使用された後、資料館を経て、現在の姿に。2017年には国の重要文化財に指定。
〈建築データ〉
竣工年|1927年
改修年|2015年
設計|吉田・永瀬建築事務所
改修|清水建設
構造形式|鉄骨煉瓦造、一部鉄筋コンクリート造
〈施設データ〉
住所|福井県敦賀市相生町7-8
Tel|0770-25-7033
開館時間|9:00~17:00
休館日|月曜(祝日の場合は翌平日休)、年末年始
料|一般 300円
https://tsuruga-municipal-museum.jp
01|兵庫《北野メディウム邸》
02|愛知《半田赤レンガ建物》
03|青森《弘前れんが倉庫美術館》
04|岡山《PORT ART&DESIGN TSUYAMA》
05|北海道《札幌市資料館》
06|福井《敦賀市立博物館》
text: shunsuke kurakata
2026年3月号「訪ねる建築 暮らす建築」



































