兵庫《北野メディウム邸》
時代を超えて人々をつなぐ洋館
|体験できる近現代名建築
既存の建築を生かしつつ、用途を変化させて活用する「コンバージョン」。育まれてきた歴史と現在の営みが重なる空間に滞在することで、その地域の風土に出合う。そんな建築の再生・活用事例を建築史家の倉方俊輔さん監修のもとご紹介。今回は、兵庫県にある「北野メディウム邸」を紐解いていく。
神戸北野の異人館の中でも
最古の建物
「異人館通り」ともいわれる、兵庫県神戸市中央区山本通。「北野メディウム邸」は、その名が呼び起こすエキゾチックなイメージをまとっている。
こうした場所の背景には、外国人が居留地の外に住むことを認めた「雑居地」という制度があった。1868(明治元)年に開港した神戸港で働く外国人たちは、生活の場を海が見下ろせる山手に求め、明治中頃以降、北野の丘へと住まいの中心を移していく。土地の所有は制限されていたが、家屋の建て替えは許され、国籍や文化の異なる人々が、坂道に沿ってそれぞれの住宅を築いた。

主屋の南側に広く庭をとり、樹齢120年以上といわれるソテツが茂るスタデニック邸。1995年に発生した阪神・淡路大震災
白く塗られた板壁、緑の窓、屋根の上の煙突。北野メディウム邸の外観には、異人館として思い描かれる要素が詰まっている。中央部がわずかに前へ張り出した構成は、正面性をつくりながら、建物全体に落ち着いた秩序を与えている。幾度も塗り重ねられたペンキの層の奥に木の表情が残ることからも、この家が時間の中で使われ続けてきたことがわかる。
北野メディウム邸は、明治20年代に建てられた。ロシア人貿易商スタデニック夫妻の私邸であったとされ、神戸北野異人館街の中でも最古の建物のひとつと考えられている。現在の名称は、空き家となっていた建物を整備し、2022年に再生オープンした際につけられたものだ。「メディウム」とは、価値や思いを媒介する存在を意味する言葉であり、アートの分野では作品を支える下地を指す。築130年を超える建物を、人と人、過去と未来をつなぐ場として開く。その意志が、この名前に込められている。

漆喰の白い壁や格子の窓、アーチ状の扉など、洋館の特徴的な内観はもちろんのこと、特に注目したいのはベランダ。手すり付きのガラス建具が用いられており、柔らかな光が差し込むサンルームになっている
玄関を入ると、正面に2階へと続く階段がある。手すりや親柱には曲線を組み合わせた意匠が施され、洋館らしい雰囲気を醸し出している。各室には暖炉が設けられ、背後には煙突へとつながる張り出しが残る。天井へと連なる部分に使われた曲線が、空間に柔らかな動きを与えている。窓は縦長の上げ下げ窓で、採光の取り方にも洋風住宅の特徴が表れている。光に満ちたサンルームへ続く扉にはアーチが用いられ、室内外をなめらかにつないでいる。
旧スタデニック邸から
カフェ・レンタルスタジオへ

1階の応接間や居間、食堂として使用されていた部屋はカフェルームに。2階のサンルームや洋室部分は、アトリエルーム(現ラウンジルーム)として生まれ変わり、レンタルスペースなどとして活用されている
現在、北野メディウム邸はアフタヌーンティーとカフェ、レンタルスペースを中心に活用されている。新たなビジネスの拠点として会員が集い、パーティや撮影会などのイベントも開かれている。
建物は、用途を重ねながら使われ続けることで、次の時間へと受け渡されてきた。北野メディウム邸は、「異人館」という言葉が積み上げてきた来歴を引き受け、その意味を現在の暮らしの中で組み替えている。南向きの斜面に面して建つこの一軒は、北野という街が重ねてきた時間を、未来へとつなぐ確かな媒体である。
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〈概要〉
1868年の神戸開港後の外国人居留地不足がきっかけでできた「神戸北野異人館街」に位置する。1980年には、神戸市から伝統的建造物に認定されている。
〈建築データ〉
竣工年|1885年頃
改修年|2022年
設計|不詳
改修|永本 聡、南 湧太、Gene
造形式|木造2階建
〈施設データ〉
住所|兵庫県神戸市中央区山本通2-9-19
Tel|078-855-3900
営業時間|11:00~18:00
定休日|不定休
料金|入場無料(カフェ・スペース利用は有料)
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text: katakura shunsuke
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