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暮らす人と自然が共生する
由布院のまちづくり
前編|守り育てた風土を次世代につなぐ

2025.9.26
暮らす人と自然が共生する<br>由布院のまちづくり<br><small>前編|守り育てた風土を次世代につなぐ</small>

住民主導のまちづくりや生活観光地のパイオニアであり、地域活性化のモデルとされる大分・由布院。豊かな自然と湯煙に包まれたまちはいま、どこを目指しているのか。由布院らしさを守りながら新たな取り組みもスタートさせるなど、進化を続ける現地を訪ね、先代からバトンを受け取った4人の想いをうかがった。

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由布院のまちづくりの歩み

山々に抱かれた由布院を一望。盆地であることがわかる

雄大な由布岳のふもと、標高約400mの盆地に位置する由布院。“おんせん県”大分の中でも格段に豊富な源泉数、湯量を誇る。別府の奥座敷と称されるのどかなまちは、やがて九州はもとより全国から年間400万人もの来訪者を集める一大観光地へと発展を遂げた。

ほかの観光地と一線を画しているのは、まちづくりの歩み。1970年代、高度経済成長の流れを受けたゴルフ場などの開発計画を、住民の反対運動によって阻止する。その立役者こそ「亀の井別荘」中谷健太郎氏や「玉の湯」溝口薫平氏といった、由布院を代表する旅館の主たちだった。さらに彼らは「ゆふいん音楽祭」や「湯布院映画祭」などのイベントを次々と立ち上げ、全国的にも珍しい住民主導のまちおこしを進めていく。まだシビックプライドという言葉もなかった時代、巨大開発の波に敢然と抗い、地域の文化と自然資源を守り育てる道を選んだのだ。

由布院に、いわゆる“温泉街”は存在しない。源泉が広い範囲に点在するため宿が密集することなく、人々の暮らしがしっかりと息づく。そんな“生活観光地”としての在り方こそ、由布院らしさの一端といえる。熊本地震やコロナ禍を乗り越え、次世代の取り組みは続いている。

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由布院の精神を継承する世代が
これから目指すまちの姿とは?

由布院のこれまでの歩みと、将来の在り方とは?今回、先人からバトンを受け取った4人の想いをうかがった。

〈今回お話しを伺った4人〉

山荘わらび野/ある風景
髙田淳平(たかだ じゅんぺい)
湯布院町(現在の由布市)に生まれ育つ。東京の大学とアメリカ留学を経て帰郷し、家業の旅館「山荘わらび野」を継承。3年間の休業の後リニューアルした同館と併せて、カヌレ専門店「CARANDONEL」、カフェ「ある風景」も手掛ける。

山荘無量塔むらた
志津野 類(しづの るい)
鎌倉市出身。旅館「山荘無量塔」が展開する洋菓子部門、美術館の事業部長。先代がつくり上げたロールケーキやチョコレートの専門店、蕎麦店、美術館や隣接しているカフェなどを受け継ぎ、新たな魅力を付加して展開している。

束ノ間
堀江洋一郎(ほりえ よういちろう)
横浜市出身。1990年、結婚を機に由布院に移住。妻の家業である旅館「庄屋の館」を継ぎ、2014年頃から温泉保養集落「束ノ間」へとゆるやかにリニューアル。湯治型アーティストインレジデンスなど自由な滞在スタイルを提案する。

CAFE LA RUCHE
伊藤剛好(いとう たかよし)
大分市出身。大学卒業後、父親の運営する美術館のサポートがきっかけで由布院へ。2000年に金鱗湖のほとりに、カフェとショップ&ギャラリーの複合型店を構える。アーティストとの交流も多く、多彩なジャンルの展示を企画・運営。

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――由布院の魅力はどんなところだとお考えですか。

堀江 僕が東京から由布院に来たとき、「東京から変なやつが来た」というような雰囲気が全然なくて、すんなり受け入れてもらえたんですね。歴史的にも落ち武者や潜伏キリシタンが流れ着いた、そういう磁場の土地です。だから、ほかの観光地や保養地と比べると、外から来た人たちを受け入れる土壌がある。それと地元との融合で、いまの由布院が生まれたのかなと。

伊藤 僕は、親が由布院が大好きだったので、幼少期から月1ぐらいのペースで来ていました。「亀の井別荘」は当時から茶房「天井棧敷」や食事処「湯の岳庵」みたいなパブリックスペースがあり、そこがハブになってまた店ができて、子どもながらいい店が多い場所だなと思っていました。

志津野 あと、由布院と自然は切り離せないですよね。由布岳も含めた自然とまちを一緒に楽しめるのがいいところ。近代化を止めるのは難しいけれど、この景観は守っていきたいですね。

伊藤  2000年代に入った頃から、もう強烈なスピードで店が増えていて、2010年代にはインバウンドが来るようになり、コロナを経た2020年代には外資の進出が増えています。先が少し見えにくい状況にあると思います。

髙田 昔、新しい店ができていくのは子ども心にめちゃくちゃ楽しかったんですよ。本当に田んぼしかない風景の一画に、どんどん店ができて華やかになった。僕だけではなくて、みんな楽しかったんだと思いますよ。

志津野 まちの小学生や中学生は、チェーン店に行くとすごく楽しそうなんですよね。でも僕たちに近い世代の中には「もう由布院はいいかな」と思っちゃう人もいる。ただ、弊社が手掛ける美術館「アルテジオ」みたいな知的好奇心を刺激する場所もあるんだという情報があまり伝わっていなくて。もっと違う由布院もあるんだよというのはぜひ感じてほしいです。

髙田 そうだね。僕らが上げた産声で何かが変わるかもしれないと思って、2023年から「由布院芸術交円」(以下、芸術交円)をはじめたという経緯があります。

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由布院は、地域外の人々を
受け入れる風土の下で発展しました

1950s ダム建設計画を機に、まちづくりがはじまる
1970s オーナー出資制度「牛一頭牧場運動」の創設
※牛一頭牧場運動は終了
1975 「ゆふいん音楽祭」の開始
1976 「湯布院映画祭」の開始
1990 新由布院駅舎に待合室兼アートホールを併設。
展示する作品を全国から公募して月替わり展示
2008 「湯の坪街道周辺地区景観計画」施行
2023 「由布院芸術交円」が始動

 

【後編】
これからの由布院が目指す姿とは?

 
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由布院のまちづくり
01|守り育てた風土を次世代につなぐ
02|これからの由布院が目指す姿とは?
03|愛着をもつ人が集まる、まちの好循環。

text: Aya Honjo photo: Azusa Shigenobu
2025年10月号「行きたいまち、住みたいまち。/九州」

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