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京都人・柏井壽が教える、
この秋の京の奥のめぐり方【前編】
《上賀茂神社、川上大神宮、正伝寺》

2021.10.23
京都人・柏井壽が教える、<br>この秋の京の奥のめぐり方【前編】<br><small>《上賀茂神社、川上大神宮、正伝寺》</small>

いざ京都へ、と赴いてはみたものの、どこへ行けばよいか分からない、あるいはいつも同じコースになってしまう……。そんなあなたに、ガイドブックでもあまり書かれていない、京都の神髄に触れるめぐり方をご案内。前編では上賀茂神社を出発点に、北から西へ歩いていきましょう。

教えてくれた人・・・
柏井 壽(かしわい・ひさし)

作家。1952年、京都府生まれ。京都人ならではの目線を生かしたエッセイや旅紀行文を執筆。小誌連載「逸宿逸飯」のほか、『鴨川食堂ごちそう』(小学館)など著書多数

洛中と洛外、そして"洛奥"とは?

京の街を言い表すのに、しばしば使われるのが、洛中洛外という言葉です。

洛中というのは平安京における中核となる地域のことで、洛外というのはそこに続く外側の地域を言います。

ただ、その境界は時代とともに変わり、さらには、ときの為政者の思惑によって左右されることもあります。

諸説ありますが、地図の縦方向で言えば、北は鞍馬口通、南は九条通がそれぞれの端とされ、それに囲まれた地域を洛中と呼ぶようになりました。

横方向はと言うと、当初は東端とされていた鴨川を越えて大和大路通あたりまでが洛中とされ、西端は千本通近辺とするのが一般的です。

あれ? 京都の歴史に詳しい方なら疑問に思われることでしょう。なぜなら平安京の中心を貫いていた朱雀大路は、いまの千本通とされているからです。朱雀大路を中心として、東側を左京、西側を右京と呼んでいたのが、中国長安の都に倣った平安京です。

洛中の西端が千本通なら、右京はどうなったの? となりますね。

平安京がはじまった頃から言えば、都の西方が衰退し、東方に広がった、というのがその答えです。

その最大の理由として、右京の地質が悪かったから、が挙げられます。水はけが悪く、農耕に不向きなだけでなく、洪水も起こり、住むのにも不自由だったのです。

その結果、都は大きく東に膨らみ、西がへこんでしまったのです。

さて、本題はここからです。

洛中と洛外については幾度となく書いてきましたし、たくさんのガイドブックも出版されています。しかし、その奥については、あまり触れられることがありません。鞍馬や貴船、嵯峨野といった有名観光地を除けば、手つかずの〈洛〉があるのです。

それをぼくは洛奥と名づけてみました。

洛奥逍遥(らくおくしょうよう)

上賀茂神社の北側から見られる、こんもりとしたシルエットの山が御神体の神山(こうやま)

奥州が日本列島の北にあるように、洛奥もまた京都の北にあります。洛北と呼ばれる地域の北の外れを洛奥と呼ぶことにしました。その中核をなすのは、世界文化遺産にも登録されている「上賀茂神社」。ここを出発点として、洛奥をぶらりと歩いてみましょう。

題して洛奥逍遥です。

上賀茂神社という社名の通り、この神社はあたり一帯を地盤としてきた賀茂氏ゆかりの社です。平安京が置かれる前から、界隈を仕切っていた賀茂氏ですから、上賀茂と、鴨川を越えた西に広がる西賀茂は、いわば上賀茂神社の社領地とも言えます。

いまでこそ神社は境内と呼ばれる、限られた敷地内だけを指しますが、かつては境界もあいまいで、界隈全体を神さまが護っている、という考えでした。

その名残りを垣間見ることができるのが洛奥なのです。

上賀茂神社へお参りするとき、多くが渡る「御薗橋」の「御薗」というのは、神さまへの供物を育てる畑、という意味で、つまり神社を中核として、神さまの土地に人々が暮らしていたわけです。

それは上賀茂神社の御神体が、御薗橋から見える「神山」であることからもわかります。神社の本体が山で、その裾野一帯が社領地というわけです。

その名残りが周囲に点在する神社。上賀茂神社の境内には何社もの摂社や末社がありますが、境内の外にもあります。

境内を出てすぐ東の高台には「二葉姫稲荷神社」、そこからさらに東に建つ「大田神社」はともに上賀茂神社の摂社です。

だけではありません。さらにその東に建つ「岡本やすらい堂」は神社ではありませんが、古くから賀茂一帯に伝わる「やすらい祭」の拠点として崇められているのです。

大田神社境内でのやすらい祭。「夜須礼」、「鎮花祭」などとも呼ばれる

神山
住所|京都府京都市北区上賀茂本山339

太田神社のやすらい祭

住所|京都府京都市北区上賀茂本山340

やすらい祭

川上大神宮の拝殿横には巨木が立つ。やすらい祭は国の重要無形民俗文化財に指定

やすらい祭は「鞍馬の火祭」、「太秦の牛祭」とともに京都の三大奇祭のひとつに数えられるお祭りで、御霊鎮めや疫病退散を願って春に行われます。

このお祭りが特殊なのは、「今宮神社」、「玄武神社」、「川上大神宮」と上賀茂の岡本地域と4カ所で行われることです。これら4カ所はすべて洛北から洛奥地域に存在し、賀茂氏が重要な役割を果たしたといわれています。

やすらいは安良居とも記され、花の精におびき出され、陽気に誘われた疫神を花笠に載せ、神社へと送り込んで退散させる、花鎮めのお祭りです。時季が合えばぜひ一度ご覧ください。装束や祭り歌など、まさに奇祭だとおわかりになるでしょう。

さて、その4カ所のなかで、よほどの京都通でなければ、その名前すらご存じないだろうと思うのが川上大神宮。ここが洛奥逍遥の北端となります。

川上大神宮
住所|京都府京都市北区西賀茂南川上町35

川上大神宮と醍醐の森

川上大神宮は上賀茂神社から西北へ、直線距離で1㎞ほど離れた傾斜地に建つ、小さな神社です。住宅地の中に突如として姿を現す鎮守の森が目印です。この神社から少し北に佇む森は「醍醐の森」と呼ばれる一条家の山荘で、その中にこの神社があったといわれています。

その山荘は「一条恵観山荘」と名づけられ、「桂離宮」や「修学院離宮」クラスの壮大なものだったといいます。建物は昭和の半ばに鎌倉へ移築され、いまでは小さな森がその名残りをとどめているだけなのは残念至極です。

川上大神宮は正式名を「大神宮社」と言い、上賀茂神社の鎮守社として、833(天長10)年に創祀された由緒正しき神社です。厳かな空気が流れ、遠くに比叡山を望む眺めは一見の価値ありです。

ここから西へ歩くと、山裾に佇む隠れ寺に出合います。

正伝寺

江戸初期に作庭された枯山水庭園は、「獅子の児渡し庭園」とも呼ばれている

その立地ゆえ参拝客は決して多くはなく、いつもひっそりとしているお寺は「正伝寺」と言い、古く烏丸今出川に建立され、1282年に現在の場所に移転しました。

方丈の広縁の天井は、伏見城にあった血天井を移したもので、歴史的な見どころでもありますが、このお寺の真髄とも言えるのは、比叡の峰々を望む、枯山水の借景庭園です。

京都には比叡山を借景にした庭園は数多く存在しますが、その美しさで言えば、一、二を争います。洛奥特有の静けさも相まって、心に沁み入る眺めに、かのデヴィッド・ボウイが魅せられ涙を流したというのも当然のことでしょう。

ここから東へ西へとジグザクに南へ下っていきましょう。

正伝寺
住所|京都府京都市北区西賀茂北鎮守庵町72

 

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text:Hisashi Kashiwai photo:Hisashi Kashiwai
Discover Japan 2021年10月号「秘密の京都?日本の新定番?」

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