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京都《鴨川納涼床》の楽しみ方
前編|約400年続く日本人と夏の酒の歴史

2024.7.4
京都《鴨川納涼床》の楽しみ方<br><small>前編|約400年続く日本人と夏の酒の歴史</small>
歌川広重『京都名所之内 四条河原夕涼』国立国会図書館デジタルコレクション

遠来の人を誘う京の夏の風物詩といえば鴨川納涼床。日本人は約400年前から夏の酒を楽しんでいたのだ。市中を南北に貫く鴨川に起こった風流な文化はいかにして育まれたのか。その歴史を、京都鴨川納涼床協同組合の理事長を務める田中博さんの解説で、ひも解いていく。

豊臣秀吉の時代からはじまった納涼床

『四条河原図屏風』ColBase
室町時代に起きた応仁・文明の乱で荒廃していた京都。荒れ果てた鴨川一帯は豊臣秀吉が三条と五条の橋を架け替えさせた頃から様子が変わり、納涼床の前身となる桟敷席が設けられる

京の景色になくてはならない鴨川は、かつてはいまよりずっと川幅が広く、東は現在の大和大路通、西は寺町通あたりまで広がっていた。川の源流からの勾配はきつく、その影響で中心地にはいつしか堆積土砂からなる広い中州が出来上がる。そこに多くの人が集い、桟敷席も出はじめたことが鴨川納涼床のルーツといわれている。京都鴨川納涼床協同組合の理事長を務める田中博さんは、納涼床は時代の変遷をたどりながらいまの姿に落ち着いたと話す。

「中州に人が集まりはじめたのは、室町時代後期からといわれています。商人らはそこで茶店を営み、芝居小屋を建て、大変賑わったそうです。特に旧暦6月7日から14日の祇園会には、鴨川で神輿が洗われることから、いつも以上の人出があり、たくさんの腰掛けも出ました。江戸時代になってもそれは続きました。ただ一点、中州には鴨川の氾濫という問題がありました。見かねた江戸幕府は中州を撤去し護岸整備に着手。そのときから中州の茶店は鴨川の両岸に店を出すようになり、張り出し式の床席が見られるようになりました」

1731年頃になると一帯はますます勢いづき、400軒もの店が立ち並んだ。付近には花街も形成され、歌舞伎や能といった文化も花開く。夜は明かりが煌めき、この頃京都を訪れた国学者・本居宣長は日記にこう記している。

「星の如くにともしび見えて、いとにぎはし。かゝる事は江戸・難波にもあらじと思ふ」。

また当時の様子は観光案内書『都名所図会』にも紹介され、円山応挙の『華洛四季遊戯図巻』や歌川広重の浮世絵『京都名所之内 四条河原夕涼』にも描かれている。

『都林泉名勝図会 四条河原』国際日本文化研究センター
最盛期には400軒もの店が鴨川の両岸に立ち並び、京の夏の風物詩として紹介されている。酒宴に興じ、舞を楽しむなどさまざまな過ごし方があった

明治から大正にかけて、納涼床は再び大きな変化の時を迎えた。
 
「まずそれまで明確に決まっていなかった床を出す期間が7、8月の2カ月に定着しました。それから、左岸(東側)の撤廃です。明治の京都は、皇族と多くの公家方が東京へ移られた打撃から立ち上がろうとする士気にあふれ、随所で新たな取り組みが実施されたのですが、1894(明治27)年の鴨川運河開削、1915(大正4)年の京阪電車鴨東線の延伸は、納涼床にも影響し、左岸(東側)の撤廃が決まったのです。それ以降、納涼床は現在のように右岸(西側)だけで出されるようになりました」と田中さん。
 
戦中戦後の一時期は、床を出すこともできなかったが、’51(昭和26)年頃には復活。’55(昭和30)年頃には40〜50軒が納涼床の設置を出願している。
 
「当時は料亭や料理旅館が中心でしたが、次第に多様なジャンルの店が増えてきましたね。さまざまな年代の方がお見えになって、楽しく過ごされている様子を見ていると、中州で納涼床がはじまった頃に近づいているように思いますね。夏のひとときを食事と酒とともに楽しく過ごす。それこそが納涼床が継承してきた歴史なんだと思います」
 
鴨川納涼床は、いまや90軒を超え、設置にあたりいくつかのルールを設けることで、情緒豊かな景観を守っている。道行く人にも夏の京都を届ける納涼床は、対岸からの眺めもじっくり楽しみたい。

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小林忠治郎『京都名勝』国立国会図書館デジタルコレクション
鴨川は京の都に豊かな文化をもたらす一方で、“暴れ川”の異名の通り、たびたびの氾濫で人々を悩ませてきた。納涼床の変遷には鴨川の性質が大きく影響している

<納涼床の歩み>
1589年 
豊臣秀吉の命を受けたに増田長盛より、三条・五条大橋の改築が行われ、鴨川の河原が見世物や物売りで賑わうように。
 
1614年〜1644年
河原は遊興地となり、『四条河原図屏風』に賑わいの様子が描かれる。
 
1751年〜1788年
最盛期を迎え、1799年刊行の『都林泉名勝図会』にその様子が描かれる。
 
明治時代
納涼床の期間が7〜8月で定着。
 
1923年
「鴨川河川敷一階占用並びに工作物施設の件」が通達され、納涼床の基準が定められる。
 
1942年
太平洋戦争の灯火管制のため、納涼床が禁じられる。
 
1951年
京都府議会で「鴨川の高床について」の通達が出され、数店舗が納涼床を再開。
 
2000年
5月1日〜9月30日までの夜床、5月と9月の昼床が認められる。
 
2015年
納涼床の申請が100軒を数える。

 

2024年の鴨川納涼床から、
一度は訪れたいおすすめの5店

 
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text: Mayumi Furuichi
Discover Japan 2024年6月号「おいしい夏酒」

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