聖徳太子が建立したと伝わる《寂光院》
柏井 壽さんと巡る、京都・大原を堪能できる名刹へ①
美味しい大原を堪能した後は、大原の魅力である四季折々で見事な景観が見られる庭園をもつ寺院へ。代表してふたつの名刹をご紹介する。
今回は、飛鳥時代のはじめに聖徳太子が建立したという「寂光院(じゃっこういん)」。その歴史に刻まれた物語とは?
文=柏井 壽
作家。1952年、京都府生まれ。京都人ならではの目線を生かしたエッセイや旅紀行文を執筆。小誌特集内「京都人の美味しい日常」でもエッセイを寄稿。
ひっそりと佇む建礼門院ゆかりの寺
飛鳥時代のはじめ頃といいますから、いまから1400年以上も前に、父の菩提を弔うために聖徳太子が建立したといわれているのが「寂光院」です。
山里の奥にひっそりと佇む寂光院は、尼寺として長くその歴史を紡いできましたが、最もよく知られているのは建礼門院徳子がこの寺に隠棲していたときの悲話です。
平清盛の娘である徳子は、安徳天皇の生母でした。何不自由なく育った徳子が悲劇のヒロインとなった端緒は、壇ノ浦の戦いです。
驕れる者は久しからず。その言葉の通り、高倉天皇、平清盛が相次いで没した後、木曽義仲の攻撃によって都を追われた徳子は、壇ノ浦において、安徳天皇とともに源氏の攻めに遭い、安徳天皇は入水し、徳子もそれに続くのですが、敵方源氏の手によって、その身を救われてしまったのです。
生き恥をさらすことになった徳子にとって、京都へ戻ってからの暮らしは、針のむしろという言葉がふさわしいものでした。
覚悟を決めた徳子は出家し、寂光院に入ったのです。辛い日々を過ごす徳子を慰めようとして、里人たちが献上した漬物が柴漬けの発祥とされています。大原に住まう人たちの優しさを表すすてきなエピソードを思い浮かべながら参拝すると、よりいっそう味わいは深くなると思います。
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寂光院
聖徳太子が父の用明天皇の菩提を弔うために建立し、柴漬けの発祥の地とも伝わる尼寺。大火の折、ご本尊の地蔵菩薩は炎に包まれるも、その中で桐箱に納められた胎内地蔵菩薩3417体は無事で、宝物殿に安置されている。
住所|京都市左京区大原草生町676
Tel|075-744-3341
拝観時間|9:00〜17:00(冬季は変更あり)
定休日|不定休 ※行事により休止する場合あり
拝観料|大人600円
www.jakkoin.jp
《三千院》
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photo: Makoto Ito
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