秩父の酒を味わう、上質な列車旅
2016年の運行当初より話題を集めた西武 旅するレストラン「52 席の至福」。日帰りで非日常を満喫できるとあって、その評判は時が経つごとに増すばかり。特別な日こそ、列車の旅を。
時計の針は 17 時 30分を指している。西武秩父駅のホームに立ち、思いを寄せる人を待つような胸の高鳴りを感じていた。太陽が街を照らしはじめた頃、池袋駅から「特急レッドアロー号」に乗り込み、 秩父へ来た目的はふたつ。ひとつは豊かな自然と清らかな水に恵まれたこの地域の、名酒が生まれる 場所を訪ねること。そしてもうひとつは、いつもの休日を特別な日に変えるべく、「西武 旅するレストラン『 52 席の至福』」のディナーコースを味わうことであった。
発車は 17 時 42 分。車内への案内がはじまる時刻になると、ホームにはレッドカーペットが敷かれ、いよいよ列車に足を踏み入れる。車両の仕切に掛けられた秩父銘仙を横目に客室に足を踏み入れると、落ち着きあるインテリアに思わず心を奪われた。
手掛けたのは建築家・隈研吾さん。4000系車両をベースにリメイクした 4 両編成で、 2号車の天井部に柿渋和紙、4号車には沿線で採れた西川材を採用し、「秩父の自然」をデザインのモチーフにしているという。空間全体に日本の美意識が配された端正な佇まい。
席に着くといっそう、居心地のよさが感じられる。料理のメニューを手に取り、ドリンクリストをチェック。日本酒、ワイン、ウイスキーと、食通をも唸らせる少数精鋭のラインアップだ。今日、訪ねたつくり手たちの酒も揃っている。こうしてペアリングを考える時間も、また楽しいではないか。
そうこうしている間に、列車は 動き出し、アテンダントがウェル カムドリンクをサーブしてくれる。「52 席の至福」では 1 両に約 4名の担当が付き、こまやかなもてなしを提供してくれるのだとか。これも「52席」という限られた席数だからこそ、なせるサービス。美 酒と美食を堪能できる幸福に感謝しながら、流れゆく景色を映す車窓を眺め、グラスに口をつけた。
昼間は、 メイド・イン・秩父の酒処をめぐる。
旨い酒造りに最適な条件を有す埼玉県秩父地方。つくり手たちは 荒川水系の良質な水と寒暖差の激しい気候を生かし、おのおのの技術や個性を体現したさまざまな名酒を世に送り出している。
それらが生まれる現場を訪ねようと、まず向かったのはブドウの品質にこだわったワイン造りを行う「秩父ファーマーズファクトリー/兎田ワイナリー」だ。農場・ワイナリー見学の後は、併設レストランで秩父産の食材を用いたランチを堪能。
お次は「矢尾本店」 が運営する「酒づくりの森」へ。 敷地内には醸造工場や酒蔵資料館、 物産館が隣接し、充実した時間を過ごせた。締めくくりは西武秩父駅から徒歩約 15 分の「武甲酒造」。こちらの日本酒の95 %は秩父エリアで消費されるのだという。
一般見学や販売は行っていないが、秩父の山間部には世界中の愛好家を魅了する「イチローズ・モ ルト」の「ベンチャーウイスキー」が蒸溜所を構えている。秩父の酒処は、知れば知るほどおもしろい。
帰路の特別な時間を演出する 至福のディナー
「52 席の至福」の自慢は、やはり料理の素晴らしさであろう。
運行はブランチコースとディナーコース。どちらも西武線沿線の人気店や有名店のシェフが監修を行い、埼玉県産食材や旬の素材をふんだんに使った美味をゲストに提供している。メニューは 3 カ月ごとに 刷新され、その都度シェフも交代。イタリアン、フレンチ、和食、中華など、ジャンルは多岐にわたり、リピーターが多いのも納得だ。
3号車のキッチン車両にはIH調理器やディッシュウォーマーといった厨房機器が備えられている ため、料理は常に最良の状態でサーブされる。酒とのペアリングに 迷ったら、アテンダントにたずね るといい。料理の味わいや食材、 酒の特徴などを加味したおすすめ を丁寧に教えてくれるはずだ。
コースがメインに差しかかった 頃、車内にはバイオリンの音色が 響き渡る。クラシックの生演奏と いう贅沢な演出。日によって異なる演奏の種類も、楽しみのひとつ だ。料理、酒、空間、もてなし、 すべてが上質であり、すべてがスペシャル。「52 席の至福」への乗車は、誰しもにとって特別な旅となることを約束しよう。
text=Nao Omori photo=Atsushi Yamahira
2018年1月号「風土を醸す酒」