TRADITION

民藝に造詣の深い哲学者・鞍田崇さんに聞く
100年続く民藝が愛され続ける理由【後編】

2023.8.4
<small>民藝に造詣の深い哲学者・鞍田崇さんに聞く</small><br>100年続く民藝が愛され続ける理由【後編】
松本民芸家具の「吊り棚」

「民藝」という言葉が生まれてから約100年。民藝はいかにして現在まで紡がれてきたのか。民藝に造詣の深い哲学者の鞍田崇さんに話を聞いた。

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全国各地で編集された、いまも残る民藝の軌跡

民藝運動=ディスカバー・ジャパンだった!?
民藝運動のメンバーは全国的な規模で、手仕事によってつくられる品の調査や蒐集を行った。柳宗悦は1940年頃から、それまでの調査を総括するような仕事に取り組みはじめ、芹沢銈介とともにつくった「日本民藝地図」などを中心に各地の民藝品が紹介されている

木彫りと刺繍でいち早く評価された
北海道 アイヌ
柳はアイヌの手仕事を高く評価した。雑誌『工藝』でアイヌ文化を紹介した際、柳は「美しいのみならず、立派で、神秘でさえある」と、残している

雪国の手仕事で暮らしをつなぐ
山形
雪害で疲弊していた農村を立て直すため、柳やフランス人建築家のシャルロット・ペリアンが指導に入り、農家の副業のひとつとして民藝品が製作された

柳にも影響を与えた民藝思想完成の地
富山
民藝美学の基盤を仏教に求めた晩年の柳は、富山県南砺市「城端別院 善徳寺」で『美の法門』を書き上げた。柳を師と仰いだ棟方志功も富山に疎開している

民藝家具の街として発展
長野 松本
柳、リーチ、河井が松本民芸家具を指導。現在の松本民芸家具のロゴは芹沢のデザイン。民藝運動に感銘を受けた丸山太郎が、1962年に「松本民芸館」を創設

初の民藝館ができた民藝運動の拠点
東京
1936年、民藝運動の拠点として、駒場に「日本民藝館」が開設。’33年には地域のつくり手と使い手をつなぐ民藝店「たくみ工藝店東京支店」が銀座にオープン

柳・河井・濱田が出会った民藝はじまりの地
京都
関東大震災で被災した柳は、京都へ移住。河井や濱田との親交もここからスタート。柳は京都の朝市で生活雑器を指す「下手物」という言葉をはじめて知る

実業家の貢献で2番目の民藝館ができる
岡山 倉敷
外村吉之介が初代館長を務めた「倉敷民藝館」は日本で2番目の民藝館。地元の実業家、大原孫三郎・總一郎(そういちろう)親子は、民藝運動を支援した

他力美の宿る民藝品を柳も称賛
兵庫 丹波篠山
柳は日本六古窯のひとつである丹波焼を、「最も日本らしき品、渋さの極みを語る品」と評価。また柳は染織文化研究家の上村六郎と、丹波布を復活させた

吉田璋也を中心に新作民藝が多数誕生
鳥取
鳥取出身の吉田は、地域の手仕事を自らプロデュースする新作民藝運動をはじめる。鳥取民藝協団の組織や鳥取民藝館の開設など、多大な功績を残す

民藝運動家らの影響が窯元に色濃く残る
島根
湯町窯や出西窯など、民藝運動のメンバーから指導を受けた窯元が多い。「出雲民藝館」の売店のセレクトを、松江の生活道具の店「objects」が担当する

“世界一の焼物”といわれた陶器を受け継ぐ
大分 小鹿田
1954年、バーナード・リーチが小鹿田に滞在し、職人にピッチャーの継ぎ手のデザインを教えたとされる。リーチの飛び鉋技法は小鹿田で学んだもの

たび重なる調査で琉球の手仕事が復興
沖縄
1938年、柳、河井、濱田ははじめて沖縄を訪問し、以降、たびたび訪れる。壺屋の陶器、琉球絣、紅型染めなどを評価し、沖縄民藝の継承と復興に尽力した

民藝運動メンバーのように
産地を訪ねる旅のススメ

民藝運動のメンバーは青森から沖縄まで日本各地を訪れ、その土地でつくられる陶磁器、染織、家具、彫刻、和紙、編組品などの生活道具を調査、蒐集し、時に職人の指導を行った。
 
中でも民藝運動を先導した柳が民藝に深く寄り添えたのは、宗教哲学者であったことも大きいはずだと、鞍田さんは推測する。
 
「柳は晩年の著書『南無阿弥陀仏』で、悲しみは慈しみであり、愛おしみである。古語では『愛し』を『かなし』と読み、『美し』ですら『かなし』と読んだ、と記しています。つまり苦悩を抱きながら生きる人々に共感していたんです」
 
柳のまなざしは、当時雪害や貧困など厳しい環境に置かれていた地域にも向けられる。それが民藝の指導を通じた産地の活性化という側面につながったのだろう。
 
「柳たちは『民藝はつくるのではなく生まれる』と、繰り返し言いました。それは、『民藝はつくり手と使い手の生きざまそのもの』ということだと感じています」
 
かつての柳たちと同じように、民藝品のつくり手を訪ねる旅に出るのもいいだろう。

「僕らが民藝運動の軌跡をたどるんです。民藝を次の100年につなげていくためにも。民藝品が生まれる現場は、ワクワクしますよ」

<民藝年表>
民藝運動の起点がいつか、とらえ方によって異なる。「精神的な側面での民藝運動はいまも続いていると思います」と鞍田さん

1910年
『白樺』創刊

1924年
柳宗悦が京都に転居し、河井寬次郎、濱田庄司との交流がはじまる

1925年
柳、河井、濱田が新語「民藝」をつくる

1926年
『日本民藝美術館設立趣意書』発表

1928年
大礼記念国産振興東京博覧会に「民藝館」を出展

1931年
・『工藝』創刊
・濱田が益子の住居に登窯を築く
・鳥取の吉田璋也指導による第1回「牛ノ戸」開窯に柳が立ち会う

1932年
鳥取にたくみ工藝店開店

1934年
・現代日本民藝展覧会開催
・展覧会のため、信州、越中、山陰、山陽、九州の集中的な調査と蒐集の旅が行われる

1935年
バーナード・リーチが鳥取を訪れる

1936年
東京に日本民藝館開館

1937年
山形県の民藝調査

1938年
柳、最初の沖縄旅行

1939年
・山形県庄内地方で民藝調査
・民藝協会同人ら沖縄旅行
・『月刊民藝』創刊

1941年
アイヌ工藝文化展開催

1948年
・『手仕事の日本』刊行
・岡山に倉敷民藝館開館
・柳、『美の法門』を富山で書き上げ翌年上梓

1949年
鳥取に鳥取民藝館開館

1956年
柳、『丹波の古陶』上梓

1961年
柳死去

1962年
長野に松本民芸館開館

1970年
日本万国博覧会が開催され、パビリオン「日本民藝館」が出展

1973年
京都に河井寬次郎記念館開館

1974年
島根に出雲民藝館開館

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text: Nao Ohmori photo: Shimpei Fukazawa
Discover Japan 2023年6月号「愛されるブランドのつくり方。」

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