FOOD

平松洋子にとって朝の食卓は
昨日と今日をつなぐエネルギーの源
エッセイ《読む朝食》

2023.6.9
平松洋子にとって朝の食卓は<br>昨日と今日をつなぐエネルギーの源<br><small>エッセイ《読む朝食》</small>

朝ごはんとの向き合い方や内容は人それぞれ。『私の定番、忘れられないあの味』をテーマにしたエッセイを4名の方に寄稿いただきました。 今回は、平松洋子さんが「朝の食卓」について語ります。

平松洋子(ひらまつ・ようこ)
1958年生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。2006年『買えない味』(筑摩書房)でBunkamura ドゥマゴ文学賞、2012年『野蛮な読書』(集英社)で講談社エッセイ賞、2022年『父のビスコ』(小学館)で読売文学賞を受賞。『日本のすごい味 おいしさは進化する』(新潮社)『肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行』(文藝春秋)など。最新刊は『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』(新潮社)

夜。
 
寝る前に台所へ向かい(といっても、自分の部屋から3歩先)、取り出した小鍋に水をため、ハサミで切った昆布一片、いりこ5尾を入れる。ただ放り込んだだけだが、よし完璧だ、と悦に入りながらふたをして、電気のスイッチをぱちんと消す。おやすみなさい。
 
翌朝。ひと晩経った水の中で昆布といりこがいい感じにほとびており、そのまま火にかけて野菜を煮ればおいしい味噌汁が出来上がる寸法だ。
 
ひと手間にも及ばない、ただ放り込むだけの手の動きによって、今日と明日がつながっている。
 
たいてい毎朝4時半から5時のあいだに起きる。起き出す前に、昨夜読んでいた本に手を伸ばして少しだけ続きを読むのも早朝の習慣だ。そのあと、5時半ごろ外に出てジョギング開始。ルートも決まっており、いつもの自然公園まで往復5キロ半(時々迂回して1キロ増やす日もある)、池のほとりでラジオ体操かスクワットをすると、家に戻るのは7時頃。シャワーを浴び、ひと呼吸落ち着いてから朝食の用意をする––。
 
これが、私のルーティンだ。試行錯誤を繰り返しながら落ち着いた、もう20年近く続いている私なりの朝の流れ。
 
いっぽう、朝食には決めごとが何もない。
 
米を炊いておかずと味噌汁を並べるときもあれば、パンとオムレツと果物の朝もあるし、肉を焼いたり、野菜たっぷりのあんかけ焼きそばをつくったりもする。冷蔵庫に4個単位でつくり置きしている塩卵(※)だけの朝もあるし、煎茶とクッキー2枚にすることもある。何でもあり、なりゆき任せの朝食だ。
 
※殻をむいたゆで卵を塩水に浸し、ひと晩以上置く。ほのかに塩味が効いて、サラダやおつまみにも。
 
朝食は、その朝の体調しだい。今朝はすっきり身体が軽いと思えば、しっかり食べる。どうもすかっとしない、どよんと重いと感じれば、ぐっと軽めにする。本当は、朝は腹がぺったんこの空腹状態がベストだけれど、いつも都合よく機械仕掛けの人形みたいには進まない。昨日、久しぶりに会った友人たちと食事をして、ちょっと食べ過ぎた、飲み過ぎたなというときもあるけれど、反省はしない。あんなに楽しかったのだから、次の日に帳尻を合わせれば、まあいいか。そんな風に2日単位で考えている。
 
だから、私にとって、朝食は昨日と今日の橋渡し役だ。日々のでこぼこをどうにかならし、プラス・マイナスを請け負うクッション。プラスの場合は、一日のはじまりのためにしっかり食べてエネルギー源にする。私は一日に2食半なので、朝にしっかり食べておかないと体力も気力も中途半端になってしまう。マイナスの場合は、身体が重いときなので、あえて煎茶とミカンだけ、塩卵だけ、水だけのときもある。この場合は昼ごろ一食食べるので、結果として、胃袋の中に15〜16時間何も入れないことになるのだが、リセットする感覚が気持ちいい。つまり、マイナスもまた新たなエネルギー源になっている。プラスとマイナス、それぞれの食卓の見た目は両極端だけれど、エネルギーを生み出す役目は同じだというのが私の実感だ。
 
さて、しっかり食べるときは「どすこい!」な食卓だ。
 
ある日の朝食。
 
・5分づきの胚芽米
・ねぎと油揚げの味噌汁
・ひじきとニンジン、こんにゃくの煮物
・豆腐入り鶏肉のつくね
・しらすと大葉入りの卵焼き
・セロリのマリネ
・ごまと紫蘇の実を混ぜた納豆
 
でも、これら全部をイチからつくったわけではない。味噌汁の出汁は、前夜に小鍋に浸しておくわけだし、ほとんどが冷蔵庫の残りものを見繕って食卓に並べたり温め直しただけ、つくったのは卵焼きと味噌汁くらい。そうなんです、朝食は冷蔵庫の調整役でもある。
 
このくらい食べると、一日のはじまりの柱ががっちり立ち上がり、腹に力が入って大地に足がつく。今日も5分づき米が旨い、ひじきが旨い、2日目のセロリに味が染みて旨い………自画自賛。めでたい。朝はとにかくポジティブにいかないと。
 
しかし、これが毎日続くわけではない。マイナスバージョンの朝は、たとえばこんな具合。
 
・冷やご飯(前日の残り)に水を足して煮た粥
・切り干しだいこんの酢の物
・じゃこ
・白菜キムチ
・塩卵 半分
 
お察しの通り、粥以外は冷蔵庫にあるものを適当に並べただけ。それでも、とろりと煮えた熱い粥の美味しさは格別で、ふうふう吹きながらゆっくり食べていると首の後ろのあたりからほんのり温もってきて、体温が上がる。残っていたご飯もすっきり片づき、これまためでたい。
 
朝食は、繰り回しの軸にもなっている。野菜が残り気味になっていると、ざくざく刻んでお好み焼きにしたりもする。キャベツ、ニンジン、パセリ、なんでも刻み、小麦粉と卵と水を混ぜたタネに混ぜたのを、フライパンでこんがり焼く。野菜の端切れを集めて炒め、あんかけ焼きそばにすることもあるのだが、妙にテンションが上がるのは、朝から町中華の気分になるから。あんな事情、こんな事情を吸収し、すみやかに解消する朝食は、台所の橋渡し役でもある。
 
はるか昔の話だけれど、小学生のころの朝食はトースト、ミルクコーヒー、目玉焼き、ハムかソーセージあたりに決まっていた。へんてつのない毎朝のルーティンに疑問ももたず、大急ぎでほお張ってからランドセルを背負って家を飛び出していた。あのころに比べると、現在の朝食の野放図なありさまに笑いが出る。でも、今日はプラスでいこう、今日はマイナスだな……と自分で自分をあやすのは、とても自由だし、解放感がある。
 
朝の食卓の風景のなかに、その日ごとに違う等身大の自分がいる。

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印度カリー子にとっての朝スパイスのチカラ 
 
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illustration: Ayako Kubo
Discover Japan 2023年5月号「ニッポンの朝食」

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