京都「両足院」伊藤東凌に聞いた
“どこでも瞑想”で、ととのう。
後編|日常で活用できる「生活瞑想」とは?
瞑想は寺だけのものではなく、誰もが取り入れられるセルフケアだ。日々の暮らしに気軽にプラスできる瞑想のメソッドを京都の古刹・両足院の伊藤東凌さんにうかがった。
両足院 副住職
伊藤東凌(いとう とうりょう)
両足院に生まれ育ち、2008年に副住職となる。建仁寺派専門道場にて修行後、20万人以上に坐禅指導を担当。現代アートにも造詣が深い。2023年には『Newsweek』にて「世界が尊敬する日本人100人」に選出。
ととのえた感覚を維持する
「生活瞑想」もやってみたい

毎日の何げない家事の動作にも瞑想につながるヒントがちりばめられているという。いわば「どこでも瞑想」だ。
「豆を挽いてコーヒーをドリップする、食器を布巾で拭き上げる。日本では当たり前過ぎて“そんなこと”と思われるかもしれませんが、世界でこうした所作をしている人は少ないですよ。きれいにお弁当を詰めたり、掃除機をかけたり、何げない家事がきちんと行われている。いわば、瞑想的に暮らしているともいえます。実際は時間に追われていても、行為そのものは非常に丁寧ですから、そこに少し集中すれば瞑想の時間になります」と東凌さんは話す。
ティーバッグで手軽に済ませることが多いお茶を、急須で淹れる。湯が沸いてから5分ほどの瞑想。茶葉の量や湯の温度などで、お茶の味わいが違ってくることに気づく
手動のミルでゴリゴリと豆を挽き、注意深く湯を落としてドリップ。粉がふっくらと膨らみ、芳醇な香りが広がる。丁寧なプロセスが、コーヒーという飲み物の価値を高める。
家事の動作も瞑想につながる
料理の下ごしらえの中で、瞑想に向いているのが千切りだ。注意深く包丁を使い、端から細かく美しく切ることに意識を集中させると、いつしか無心になり没入しているはずだ。
家電などツールの進化で、暮らしにかける手間がなくなりつつある現代。その存在をひととき忘れ、自分を取り巻く行為とあえて向き合ってみる。瞑想とは、必ずしも目を閉じて行うものではない。ルーティンとしてこなしていた家事の意味を再認識し、よい状態に高められるよう意識を向けることで、少しずつ感覚が開かれていく。
ニンジンやキャベツなどの野菜を包丁で千切りにする。4分の3まで普通に切り、残り4分の1をひと際入念に千切りにし、手の感覚や包丁がまな板に当たる音を楽しむ。
食器は洗いも乾燥も食洗機に頼ることが増えたが、大切なひと皿だけでも布巾を使って手で拭き上げてみる。大切に拭きながら、食器の質感や絵柄をあらためて鑑賞したい。
コロナ禍で見直されることになった丁寧な手洗いの習慣。せっけんをよく泡立て、指先から爪の間、手首までしっかり洗う。泡を洗い流した後は気持ちまですがすがしい。
日常の基本的な動作にも...
さらに、見る、歩く、食べるといった基本的な動作も、瞑想の機会になる。中でも「歩く」は、東凌さんが得意とする瞑想でもある。これまで体験したことがないほどゆっくりと歩みを進めるうちに、姿勢の癖や骨盤、体幹などの状態を意識するようになり、身体の声に耳を傾けることにもつながる。思考もクリアになり、短い時間でも心身の変化を実感できるだろう。
タイパが叫ばれ、ながらスマホの誘惑に抗えない時代だが、ほんの1分を瞑想の時間に充てるか、SNSを開くかは自分次第。瞑想へのアプローチさえ心得ていれば、最初は毎日でなくても構わない。たとえば週のはじまりと決めて習慣づけ、慣れたら頻度を増やしてもいい。忙しなく流れて消費してしまう時間を見つめ直し、自らをチューニングしてみたい。
東凌さんが長年取り組む「歩く」瞑想。右足をゆっくり上げて下ろし、着地したら今度は左足をゆっくり上げて……を繰り返す超スローモーションな歩行は、感覚を開いてくれる。
ひとつの物を1分眺めてみるという瞑想。情報は1秒で得られるが、15秒も見ていると飽きてしまう。眺める瞑想を重ねることで、観察眼や想像力を養うことができる。
ご飯を口に入れて30秒、何もしない。口の中の感覚が全開になったら、ゆっくりと咀嚼。いつものご飯でも、美味しさが際立つはず。食事の時間に、ぜひ取り入れてみたい。
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text: Aya Honjo photo: Mariko Taya
2026年6月号「ウェルネス入門」



































