ミュージアムの街
上野誕生の秘密【後編】
日本で最初の都市公園である上野恩賜公園。東京国立博物館をはじめ、日本を代表する文化施設があるが、なぜこの場所に数多くのミュージアムが集まっているのか?上野の街を研究する社会学者の五十嵐泰正さんにその理由をうかがいました。
市民の憩いの場となる公園へと
期せずして姿を変えた上野の森
時は流れ1868年、彰義隊ら旧幕府軍と新政府軍による上野戦争により、寛永寺のある上野の台地は、焼け野原と化した。江戸から東京へ、権力は徳川幕府から明治政府へと移ったことを知らしめるため、一刻も早く寛永寺境内を刷新したい明治政府は、この地を陸軍病院の用地に決定する。
「そんなとき、日本の医学校で教鞭を執っていたオランダ人軍医のボードワン博士が、『自然が豊かな場所なのだから、市民の憩いの場となる公園にするべきだ』と助言をしたのです。当時の日本に公園という概念はなかったはずですが、明治政府には西洋での留学経験があるメンバーが多くいたため、ピンときたのでしょう。1876年、日本初の西洋式公園に生まれ変わることになりました。上野の森は期せずして、天海の構想と同じ役割を担うことになったわけです」
明治維新後、欧米を視察した大久保利通は、近代国家建設のためには国内で産業を興す必要があると痛感。博覧会の開催こそ、殖産興業の発展につながると感じたのだろう。さらにイギリスへの留学時、パリで見た博物館に感銘を受けた官僚・町田久成は、博物館事務局の立ち上げや、動物園や植物園を含む博物館の建設を企図していた。町田の尽力と内務省の働きかけが合致し、1877年に上野公園で第1回内国勧業博覧会が開催される。
以降、博物館や学校など西洋的な文化施設が、上野公園に次々と建設。上野の森は、近代日本の文化先進地として生まれ変わっていく。
明治維新から50年以上の年月を経て、上野は名実ともに文化の中心地となった。しかし周囲の街が甚大な被害を受けた関東大震災や第二次世界大戦では、上野の森に避難民があふれ、美しい景観や豊かな文化まで荒廃してしまった。荒れ果てた上野であったが、上野観光連盟の前身である上野鐘声会は、上野公園に1200本以上の桜の木を植林。戦時中、水田として利用されていた不忍池も、もとの姿へ戻していった。
戦後の混乱期を乗り越えた1955年頃になると、上野駅は集団就職の玄関口となり、上野恩賜公園にも新たな文化施設が続々と建てられる。高度経済成長や多くの人々の尽力とともに、上野の森と街は復興を遂げていった。
現在、上野恩賜公園にはさまざまな文化施設が集まる。フランスのパリやアメリカのスミソニアンのように、美術館が多い街は数あれど、上野は極めて特異な性質をもっているという。
「美術館や博物館が集中するエリアはアップタウンに存在することがほとんど。ですが上野には文化施設が集まるエリア、大きなターミナル、アメ横のような下町風情を残すマーケットといった、方向性の異なる都市的要素がごく狭い範囲に集積しています。これは世界的に見てもまれなんですよ」
1990年以降、上野恩賜公園は「日本をプレゼンテーションするミュージアム」をコンセプトに、国内外にPR。2008年に刊行された『ミシュランガイド 東京』では、上野が東京で唯一、三つ星として評価された。
「いま、上野は新たなフェーズを迎えています。上野かいわいにある店舗が東京藝術大学の学生や若手アーティストとともに『藝を育むまち同好会』を発足。店内でアーティストの作品の展示販売を行うなど、アートを切り口に街の活性化を目指す活動を行っています。上野の街にもたくさんのアートがあふれていますので、ぜひこちらにも足を運んでいただけたらうれしいですね」
時は明治。公園、博物館開設は
政府の国内外へのアピール
内国勧業博覧会の開催や文化施設の開館は「富国強兵・殖産興業」をスローガンに、西洋技術を紹介し、国内産業の発展を促すことにあったが、日本が近代国家であることを国外にアピールする目的もあった。第1回内国勧業博覧会開催の前年、1876年には上野公園内に西洋料理店「上野精養軒」が出店。ここは明治天皇や各国公使などを招いて開かれるレセプションパーティの会場となり、華やかな文明開化を体現していた。明治政府はボードワン博士の助言通り、上野公園を単なる「公園」とするのではなく、近代国家の象徴としていたのだろう。
ミュージアム、
そしてアーティストが集う街へ
上野恩賜公園には、東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館、上野動物園、東京文化会館、東京藝術大学大学美術館といったさまざまな文化施設が集まり、多数の飲食施設やベンチなども点在。緑豊かな環境で、人々が思い思いの時間を過ごしている。これまで上野の森と街を行き来する人は少なかったというが、「藝を育むまち同好会」の活動により、回遊性が向上。上野の森と街との交流も盛んになってきているという。
text: Nao Ohmori photo: Shinsuke Matsukawa
Discover Japan 2022年9月号「ワクワクさせるミュージアム!/完全保存版ミュージアムガイド55」