PRODUCT

料理を美味しく彩る「吉井史郎さんのうつわ」
ただいま、ニッポンのうつわ

2020.10.24
料理を美味しく彩る「吉井史郎さんのうつわ」<br><small>ただいま、ニッポンのうつわ</small>
高麗の黒にも憧れるという吉井さん。玄釉の黒は緑や黄土色をはらみ、薄くかかる縁は素地が透けて飴色に。餃子の焼き色も辣白菜の淡い緑の濃淡も映える。土や器形による釉調の違いも味わい深い

自分の料理や暮らしに合ううつわを求め続けて、高橋みどりが最近気になっているのが、ニッポンのうつわ。背景を知ると、使うのがもっと楽しくなることを伝えたい。今回は料理を美味しく彩る「吉井史郎さんのうつわ」を紹介します。

 

高橋みどり
スタイリスト。1957年、群馬県生まれ、東京育ち。女子美術大学短期大学部で陶芸を学ぶ。その後テキスタイルを学び、大橋歩事務所、ケータリング活動を経てフリーに。数多くの料理本に携わる。近著に『ありがとう! 料理上手のともだちレシピ』(マガジンハウス)など

吉井史郎さん
1955年、山口県生まれ。1978年京都府立陶工専門学校卒、清水六兵衛(6代、7代)に師事。1986年より宇治・朝日焼で修業。1991年、亀岡に独立開窯。自然豊かな地に登窯を築き、作陶を続ける。

吉井史郎さんの玄釉皿 φ290×H30㎜ 価格:1万5000円

使いはじめて10年ほどになる、吉井史郎さんの平皿。普段の料理に頃合いの大きさで、炒めもの、揚げもの、肉料理と何でも受け止めてくれる。「玄釉」と呼ばれる特徴的な釉薬は、しっとりしたつやがある。黒の中に複雑な色みを含み、グリーンサラダをふわっと盛っても美しい。次に迎えた片口も、漬物、和え物、煮物にと重宝なうつわだ。料理が確実に美味しそうに見える安心感、それが高橋さんが吉井さんのうつわに感じるもの。単に色やかたちを超えた何かが、そこにある。

吉井さんは京焼の専門学校卒業時、見込まれて六兵衛窯に入った。江戸時代から京の茶人や文人を得意客とした名門で、代々の六兵衛や職人たちが残したうつわを目の前に、をひき続けた。長い歴史や、工人の熟練によってしか培われ得ない完成度に触れ、自分もまた、うわべを写すのではなく、本物に連なりたいと精進した。7代六兵衛の彫刻を手伝った一年では、シャープだが柔らかい、繊細で鋭いといった、自然の造形にも通じる、二面が併存する表現を学んだ。それはいまも作陶に生きる。

土を掘り、薪を割り、登窯をたくのは、焼物の全工程を一から手掛けてみたかったから、と吉井さん。素材に火の力を加える焼物は、料理と似ているとも語る料理好きだ。半農半陶で暮らしたいと、来年は米づくりもはじめるという。「つくるものには気持ちが出る」と、自在に手が動く熟達の技を引き出す、心のもちようを大切にしている。その暮らしぶりを、いつか亀岡に訪ねてみたい。

吉井史郎さんのうつわの豆知識

京焼と清水六兵衛
京焼は茶の湯の流行とともに茶碗や懐石道具の窯として興り、江戸前期には野々村仁清や尾形乾山が登場。初代清水六兵衛は、奥田頴川も学んだという窯元の海老屋清兵衛に陶法を学び、1771年に五条坂に開窯。

6代六兵衛と7代六兵衛
吉井さんが師事した6代清水六兵衛は、父の5代六兵衛とともに帝展・日展を舞台に活躍し、陶芸家として多彩な表現を試みた。7代六兵衛は建築を修め、清水九兵衛の名でアルミニウムによる彫刻も手掛けた。

亀岡は古代から焼物の産地
同じ釉薬でも表情が異なるのは、素地の違いにもよる。平皿は土鍋用の土を使用。片口は亀岡の鉄分の多い赤土で、焼き締まる。丹波国にあたる亀岡には奈良・平安期の古窯跡群が残り、いまも良質な陶土を産する。

text : Akiko Nariai photo : Yuichi Noguchi
2017年11月号 特集「この秋、船旅?列車旅?」


 

京都のオススメ記事

関連するテーマの人気記事