TRADITION

「大日如来と薬師如来」の比較で知る密教の個性 空海の聖地を訪ねる。

2020.9.4
「大日如来と薬師如来」の比較で知る密教の個性 <small>空海の聖地を訪ねる。</small>

東寺に安置されている「大日如来坐像」と「薬師如来坐像」。経典では同体と説かれている2体ですが、見比べるとさまざまな違いに気づくはず。そこから見えてくる真言密教の真髄とは?詳細な比較でご紹介します。

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密教は救いのアプローチが多彩!

東京国立博物館の特別展には、史上最多の15体の仏像が東寺から運ばれた。しかし、真言密教で最高仏、教主とされる大日如来は東寺にある。

東寺で大日如来が安置されているのは講堂だ。一方、東寺の本尊、薬師如来は金堂に鎮座している。経典の『覚禅抄』では、大日如来と薬師如来は同体と説かれている。

「同体とはいえ、大日如来は密教では救いを説く万物の慈母とされます。薬師如来は、大医王とも称され、衆生の苦しみを治し、世間の災禍を消すと考えられています」と、前出の三浦文良さんが言う。

2体を見比べると、憤怒や慈愛など20通りの姿に自らを変え人々を救済する大日如来は、大らかで、包み込むような優しさをもち合わせているように見える。一方の薬師如来は賢人の居住まいと言ってもいいように思う。

感じ方は自由。そこを否定しない真言密教は、救いへのアプローチが多彩だといえる。真言密教の根本道場では、両方がほぼ同列に鎮座しているのである。その違いを発見してこそ、密教の神髄に迫るのではないだろうか。

立体曼荼羅はすべて大日如来の化身
立体曼荼羅は、中央の白亜の壇上に大日如来が坐し、周囲に20体の仏を配して構成されている。その20体はすべて大日如来の化身。平安時代作の15体はすべて国宝。

大日如来坐像
大日如来は、万物の慈母であるとともに宇宙の中心であり、宇宙の真理そのものである。描かれ方には金剛界と胎蔵界の2種類があり、東寺講堂のものは悟りへの道筋を示す金剛界の大日如来だ。

重要文化財|木造漆箔
高さ|284.0㎝
造立時期|室町時代

アクセサリーは外さない
如来としては珍しく、大日如来はイヤリングなど装飾品を身につけている。さまざまな仏に姿を変え人々を救う大日如来の特性を象徴するポイントだ。薬師如来と見比べよう。

薬師如来坐像
向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩を従えて金堂の中央に鎮座する。光背の上には7体の化仏を配して七仏薬師を表わし、また台座には十二神将を配している。この三尊像は桃山時代の仏師・康正の作である。

重要文化財|木造漆箔
高さ|288.0㎝
造立時期|桃山時代

如来は本来アクセサリーを外します
薬師如来を見直すと、こちらにはアクセサリーがすべて外されていることがわかった。一方、両隣に坐す菩薩(下写真)はアクセサリーをしっかりつけている。修行中の菩薩か、すでに悟りを開いた如来かの違いが造形にも表れている。

空海と東寺のあゆみ

796(延暦15)年
桓武天皇の発願により、西寺とともに国家鎮護の官寺として東寺が創建される
823(弘仁14)年
空海が嵯峨天皇から東寺を与えられる(東寺勅給)
東寺に50人の定額僧を置き、真言密教の根本道場とする
825(天長2)年
講堂の建立がはじめられる
826(天長3)年
空海が五重塔の造営を奏上する
828(天長5)年
空海が日本最初の私立学校・綜芸種智院を創立する
835(承和2)年
後七日御修法を行う
3月21日、空海が入定する
839(承和6)年
講堂内の立体曼荼羅の開眼供養が行われる
843(承和10)年
灌頂院が完成

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text=Hiroyuki Aino photo=Satoshi Yasukochi plan=A2WORKS
2019年5号 特集「はじめての空海と曼荼羅」


《空海の聖地を訪ねる。》
1|真言密教はじまりの地「東寺」
2|「大日如来と薬師如来」を比較で知る密教の個性
3|秘境の宗教都市「高野山」が生まれた理由
4|修行の場を曼荼羅化した「壇上伽藍」
5|入定した空海が生き続ける「奥之院」

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