紫式部や藤原道長も楽しんだ?
平安時代からある日本の行事まとめ【後編】
祇園祭をはじめ、いまや世界に知られる祭から、天皇が執り行う宮中行事まで、いまも行われる行事のルーツは、平安時代に多くありました。今回は紫式部や藤原道長も楽しんだ平安時代からある日本の行事をまとめてご紹介。
1月1日 (旧暦1月1日)
《四方拝(しほうはい)》
元旦に行われる天皇による天地四方の神々を拝む儀式
元旦の寅の刻(午前4時頃)、天皇が清涼殿東庭において一年の災いを祓い、国家安寧を祈ってその年の属星(十二支を北斗七星に配する)及び四方・山陵を拝する。
2月3日(旧暦12月31日)
《追儺(ついな)》
「節分」のルーツは鬼を払う宮中行事
体格のよい大舎人寮(おおどねりりょう)の役人が務める方相氏(ほうそうし)が四ッ目黄金の仮面に赤い装束をつけて、矛や盾を手に大声を発して目に見えない鬼を追い払う。
3月3日 (旧暦3月の 最初の巳の日)
《曲水の宴(ぎょくすいのえん)》
厄災を払い、無病息災を願う風流な儀式や宴が「ひな祭り」の起源
流觴(りゅうしょう)曲水ともいい、曲がりくねった遣水(やりみず)に酒盃を浮かべ、盃が自座を通り過ぎるまでに詩歌を詠ずる中国伝来の行事。上巳の祓後に行われる遊宴で、貴族の邸宅でも行った。
《上巳の祓(じょうしのはらえ)》
『源氏物語』では光源氏は隠棲していた須磨の地で、遠く離れた都に思いを馳せながら陰陽師を呼んで上巳の祓を行い、その後、紙でつくった人形を海に流して穢れを祓った。
5月5日 (旧暦5月5日)
《端午節会(たんごのせちえ)》
平安の「端午の節句」は、命懸けの行事だった!?
二手に分かれた男性が、敵陣めがけて石を投げ合う石合戦で、時には棒や刀を振り回すこともあった。頭に菖蒲を巻いたり、腰には刀のように菖蒲を差したりもしている。
5月15日(旧暦4月中の酉の日)
《賀茂祭(かもまつり)》
賀茂の神々の怒りを鎮めるための「賀茂祭」
平安貴族の祭見物は桟敷や牛車の中から。斎院御禊の行列に奉仕する光源氏の姿を見ようと、見物人で大混乱の中、葵の上と六条御息所の車争いが起こったと『源氏物語』にある。
6月30日(旧暦6月30日)
《六月祓(みなづきばらえ)》
心身の穢れを清める全国の神社で行われる儀式
遣水の近くに立つ束帯姿の男性は陰陽師で、お祓いをしている。屋内では幼児を抱いた乳母が、病気を避けるという茅の輪をくぐる様子が描かれている。
7月1日〜7月31日 (旧暦5月1日~6月17日)
《祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)》
疫病を払う八坂神社の祭礼「祇園祭」
祇園祭における山鉾巡行は14世紀中頃からのことで、平安時代は祭の中心となる3基の神輿、その前には田楽法師・風流傘(ふりゅうがさ)・獅子舞・剣鉾(けんぼこ)などが賑やかに行列していた。
7月7日 (旧暦7月7日)
《乞巧奠(きこうでん)》
中国伝来の牽牛と織女伝説と日本の神事が融合した平安の「七夕」
7月7日の夜、牽牛星と織女星が天の川を渡って、年に一度の逢瀬を楽しむという中国・漢代の伝説が日本に渡来し、牽牛・織女の二星を祀る風習が広まった行事。
9月〜10月上旬(旧暦8月15日)
《中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)》
平安貴族は「月見」が大好き。豊作の祝いでもあった
『源氏物語絵巻』鈴虫2の巻には、宮廷で月見の宴が行われなかったため、光源氏の邸宅で行われた様子が描かれている。手前で笛を奏でているのは光源氏の息子の夕霧である。
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監修・文=鳥居本幸代(とりいもと・ゆきよ)
Discover Japan 2024年11月号「京都」