アドベンチャーツーリズムの元祖
日本三霊山を学び歩く【Part 3|白山】
日本三霊山である富士山・立山・白山。古来から続く山岳信仰は、アドベンチャーツーリズムの元祖だ。
今回は、水への信仰が強い豪雪地帯の霊峰・白山を紹介する。
比叡山延暦寺と結び付きの深い白山信仰
白山は南北に連なる連山の総称で、手取川、九頭竜(くずりゅう)川、長良川、庄川の水源の山で、水への信仰が強い。豪雪地帯にあって冬の雪が真っ白に輝くさまが山名の由来とされている。最高峰は御前峰(ごぜんがみね)で2702m、大汝山、別山と併せて白山三所権現として祀られてきた。開山は泰澄(たいちょう)で、『泰澄和尚傳』(1329)によれば、夢に現れた十一面観音のお告げで越知山(おちさん)で修行し、遠くに望む白山の登拝を念願していた。あるとき、白山妙理大菩薩が貴女の姿で現れ白山へ招いた。717年に、鉢を飛ばして米を手に入れる「飛鉢法(ひはつほう)」を使う臥行者(ふせりのぎょうじゃ)と元船頭の浄定行者(きよさだぎょうじゃ)を連れて白山に登ると、山頂の池から九頭龍王が姿を現したが、本身の顕現を望むと十一面観音に変貌した。3年間山中で修行を続け、その後、都に召されて疫病退散の祈禱をしたという。2017年に開山1300年祭が行われた。
三山に祀られる神は、御前峰は白山妙理権現で本地は十一面観音、大汝峰は越南知(おおなむち)権現で本地は阿弥陀如来、別山は別山大行事で本地は聖観音であった。主神は室町時代には菊理媛尊(くくりひめのみこと)とされ、明治以降は白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)にあらためられた。登拝道は、加賀・越前・美濃の三方からあり禅定道と呼ばれ、加賀馬場には白山寺、越前馬場には平泉寺、美濃馬場には長滝寺(ちょうりゅうじ)があって道者の拠点であった。明治以降は、白山比咩神社、平泉寺白山神社、長滝白山神社に再編されて現在に至る。白山比咩神社は白山本宮と呼ばれ、全国に2700社はあるとされる白山神社の本社である。
美濃側の石徹白(いとしろ)に白山(はくさん)中居神社が祀られ、江戸時代にはここを拠点に「登り千人、下り千人、泊まり千人」といわれる賑わいを呈した。白山講が東海地方を中心に成立し、石徹白を拠点として白山に登った。美濃側の尾添(おぞう)の中宮、越前側の市ケ瀬の中宮は拠点ではあるが賑わいは少ない。白山修験は16世紀以降に展開したが、まとまりを欠く。16世紀以降の成立とみられる白山曼荼羅には、開山の泰澄の修行の姿や、女人禁制を破って登った女性が真っ二つになった図も描かれ、禁忌の伝承で山の霊験を説く。
白山信仰は平安時代中期以降、比叡山延暦寺との結び付きを強めてきた。白山は山王七社の内に客人社(まろうどしゃ)として祀られている。各地の天台寺院に鎮守社として祀られ、能・延年・田楽などの民俗芸能を伝える社もある。正月6日の美濃の長滝延年(ながたきえんねん)は華麗な造花と舞で人々を楽しませる。祭壇に白山の三山をかたどった島台が置かれ神々を招く。美濃の能郷白山では毎年4月に古式の能と狂言が奉納される。室町時代の三番雙(さんばそう)面、若女(わかおんな)面、尉(じょう)面、般若(はんにゃ)面、能面、狂言面や衣装が伝わる。越前は中世に猿楽が栄えた土地で名残が各地に見られ、水海の能や田楽、旧尾口村の人形浄瑠璃「でくの舞」、糸崎の仏の舞などがある。奥三河花祭りの古戸の白山祭り、越後の能生(のう)白山神社の舞楽と獅子舞、東北の栗原市小迫白山神社の延年など白山祭礼は多彩である。中尊寺鎮守の白山神社には立派な能舞台が残る。
<おすすめの登山ルート>
line
text: Masataka Suzuki illustration: Kento Iida
Discover Japan 2024年8月号「知的冒険のススメ」