発想の転換から生まれた
「久保一幸さんのそば笊ざる 9寸」
ただいま、ニッポンのうつわ
自分の料理や暮らしに合ううつわを求め続けて、高橋みどりが最近気になっているのが、ニッポンのうつわ。背景を知ると、使うのがもっと楽しくなることを伝えたい。今回は、竹細工の技が織りなす用と美を兼ね備える「久保一幸さんのそば笊ざる 9寸」を紹介します。
高橋みどり
スタイリスト。1957年、群馬県生まれ、東京育ち。女子美術大学短期大学部で陶芸を学ぶ。その後テキスタイルを学び、大橋歩事務所、ケータリング活動を経てフリーに。数多くの料理本に携わる。近著に『ありがとう! 料理上手のともだちレシピ』(マガジンハウス)など
久保一幸さん
1969年、大阪府生まれ。3年間勤めた会社を辞め、1994年に大分県別府の高等技術専門校竹工芸科に入学。修了後は湯布院の竹工芸家・野々下一幸氏に2年間師事。1997年に独立、東京で籠や笊などの制作を続ける。
久保一幸さんの作品に、以前から惹かれていたという高橋さん。今回手にした笊は、何よりフラットなのが魅力だ。おむすびにお寿司、和洋のお菓子にパン。盛りたいものが次々に浮かぶ。
そば笊としてつくられたこの笊には、久保さんの発想の転換が生きている。本来、笊の目的は水をきることだから、濡れたものを盛れば笊の目から水が下に落ちる。しかし下に受け皿がないほうが、盛った姿が美しいと久保さんは考えた。厚く幅広に割った竹ひごを「ひしぐ」、つまり割り広げて編むことで、竹自体が水分を吸収するように工夫した。この「ひしぎ竹」を網代編みにした皿を手掛けていたのは、師匠の野々下一幸さん。師匠の作は径が一尺を超え、中央に窪みがあった。これを平らにして裏に足を付け、径を7寸から最大でも一尺に。日常に使いやすくした。高橋さんが、大胆でグラフィカルと感じた編み方は、まさに用と美を兼ね備えたものだ。
湯布院の名旅館に照明や箸を納めていた野々下さん。修業中、下仕事に明け暮れながら書き留めた師匠の言葉を、久保さんはいまも振り返る。会社勤めを辞め、自分の手で物をつくりたいと進んだ道は、作品が評価に直結する言い訳の利かない仕事。それゆえ真摯に丁寧につくり続ける。これからつくりたいものは、とたずねると、「売れることを考えずに好きなものをつくってみたい、くず籠とか箕とか」と困ったように答える久保さんは本当に正直だ。使うたびに白竹とつくり手のすがすがしさが伝わってくるようだ。
久保一幸さんの竹細工の豆知識
別府の竹細工の歴史と職業訓練校
別府の竹細工は、室町時代には行商用の籠、江戸時代には温泉客用の生活道具がつくられ盛んになった。久保さんが学んだ専門校は竹産業の振興と竹工芸技術継承、障がい者のための職業訓練を目的に1939年設立。
別府の白竹
別府の「白物」と呼ばれる竹細工は、2~4年成長した地元の真竹を秋に刈り、煮沸して油を抜き、天日乾燥して春に仕上がる「白竹」を使う。久保さんは独立以来つき合いのある別府の製竹所に白竹を発注している。
美術工芸とクラフト
別府では明治以降、茶道具や美術品としての竹工芸も進化し、1967年には生野祥雲斎が竹工芸で初の人間国宝に。一方、デザインに優れた照明器具や白竹を使ったクラフトなど新たな日常の道具も生み出された。
text : Akiko Nariai photo : Yuichi Noguchi
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