活版印刷に“思い”を込める「嘉瑞工房」
大熊健郎の東京名店探訪
「CLASKA Gallery & Shop “DO”」の大熊健郎さんが東京にある名店を訪ねる《東京名店探訪》。今回は、著名なアートディレクターやデザイン会社などからも絶大な支持を得ている活版印刷工房「嘉瑞工房」を訪れました。
大熊健郎(おおくま・たけお)
「CLASKA Gallery&Shop “Do”」ディレクター。国内外、有名無名問わずのもの好き、店好き、買い物好き。インテリアショップ「イデー」のバイヤー&商品企画、「翼の王国」編集部を経て現職
www.claska.com
髙岡昌生さん
大学卒業後、一般の企業に勤務し、嘉瑞工房へ入社。現在は欧文組版のコンサルティングやディレクションも行う。英国王立芸術協会フェロー
名刺を整理するのがとにかく苦手である。仕事上、人に会う機会が多いので気がつくとあっという間に名刺がたまる。しばらく放置しておこうものなら、見返したときに相手のことを思い出せないことさえある始末……。
ただ美しく紙質のよい名刺だったりすると何度も手に取ることがある。当然相手の印象も残りやすい。「いい」と感じる理由はどこにあるのか。文字の選び方やそのレイアウト、紙の質感や厚み。たかが名刺といえど、一片の紙が人の気分を左右することがある。
新宿の牛込エリア界隈には印刷や製本、出版社など紙や本にかかわる大小さまざまな企業が多く点在する。その中でもひと際小さな印刷会社が西五軒町にある。しかしこの小さな活版印刷工房は、著名なアートディレクターやデザイン会社、大手企業を顧客にもつだけでなく、海外にもその名を知られた知る人ぞ知る存在なのだ。
工房の歴史は戦前にさかのぼる。その原点はアマチュアプリンター、井上嘉瑞の印刷工房にある。5年に渡るロンドン生活を経験し、本場のタイポグラフィ研究に努めた井上は日本の欧文印刷におけるパイオニア的存在。その井上に師事し、嘉瑞工房として引き継いでその名を確固たるものにしたのが髙岡重蔵だった。
重蔵の子息であり、嘉瑞工房の現代表・髙岡昌生さんは言う。「印刷業は工業、つまりインダストリーの世界。それは効率、採算性の世界です。いまの時代、ただの印刷業としての活版印刷が廃れるのは自明です。活版はあくまで手段であり目的ではありません。そこに自分たちにしかできない付加価値を与え、客の『嗜好性』に訴えることで成立する。いわばcraft的世界と言えるかもしれません」。
嘉瑞工房では名刺や封筒、レターヘッドなど主にパーソナルな印刷物を制作している。工房には欧文だけでも300種を超える金属活字書体があるという。書体にはそれぞれの文字の見ためや特徴のほか、個々に文化的、歴史的背景をもつ。使い方次第では日本人にはわからなくとも欧米人にとってはマナー違反や違和感を生じさせる結果になることもある。その膨大な知識と長年の経験によって培われた技術で、客の依頼に応じた適切な書体を選び、その文字組みを行い提案するのが嘉瑞工房の仕事。実に奥深い世界である。
デザインに凝るのはでなく、紙に相手への思いをのせるためのタイポグラフィ。文字と紙の魅力をあらためて味わわせてもらった。
嘉瑞工房
住所|東京都新宿区西五軒町11-1
Tel|03-3268-1961
営業時間|9:00〜18:00
定休日|土、日曜
https://kazuipress.com
photo: Atsushi Yamahira
2021年2月号 特集「最先端のホテルへ」