FOOD

日本のカレーのいまと未来
|『カレーライスと日本人』の著者・森枝卓士がつづる

2026.1.10
日本のカレーのいまと未来<br>|『カレーライスと日本人』の著者・森枝卓士がつづる

日本人の国民食であるカレーは今後どのように変わっていくのか? 『カレーライスと日本人』(講談社)著者である、カレーをこよなく愛する、森枝卓士さんが筆を執る――。

森枝卓士(もりえだ たかし)
1955年、熊本県生まれ。フォトジャーナリスト、絵本作家、食文化研究家、大学客員教授などさまざまな分野で活躍。食文化に関するエッセイや著書、レシピ本も多数。主な著書に『カレーライスと日本人』(講談社)など。

カレーは上から、ラーメンは下から。
日本人にとっての二大国民食のコントラスト

カレーは上から、ラーメンは下から、受け入れられた。
食文化の変容、つまり、どのようにして日本に受け入れられ、広まっていったかを追っていて、そう思った。日本人にとっての二大国民食は見事なコントラストではないかと。

要するに、こういうことだ。
カレーはインド料理ではなく、イギリスからの西洋料理として紹介された。明治のはじめに来日した西洋人から、洋食として教わり、受け入れられた。最初にレシピが掲載されたのが、『西洋料理指南』、『西洋料理通』という本であることからも知れる(ともに、1872(明治5)年発行)。

敬学堂主人『西洋料理指南 上』/国立国会図書館デジタルコレクション

たとえば、クラーク博士の札幌農学校(後の北海道大学)の寮の食事に供されていた記録があるし、明治天皇が宮内卿であった伊藤博文と一緒に食べた記録もある。宮中午餐会、晩餐会のメニューに鴨や若鶏のカレーと書かれていたりする。さらには、さまざまな工夫、変化を遂げた上で、軍隊の食事に採用されたりもしている。
つまり、お上、あるいは公という場で受け入れられ、徐々に人々の間に一般化していったということである。上から受け入れられた食文化、なのだ。

それに対してラーメンは、中国各地から明治時代にやって来た、華僑や留学生などの間で、湯麺が食べられているうちに日本人にも広まり、徐々に日本式に姿を変えた。タイのクイティオやベトナムのフォーとして定着したように、ラーメンとして広まったということだ。お上など関係なく。

だから、カレーがジャガイモ、タマネギ、ニンジンとお肉という定番で全国に広まったのに対して、ラーメンはそれぞれの土地の味と結び付いて、バリエーション豊かに広まっている。

なぜ、カレーは伝統的な日本料理よりも
食べられるくらいに広まったのか

それにしても、なぜ、カレーは伝統的な日本料理よりも、余計に食べられるくらいに、受け入れられたのか。広まったのだろう。

まだ、昭和の時代にふと、そんな疑問を抱いた。そして、イギリスからインド、東南アジアと調べて回り、『カレーライスと日本人』(講談社)という新書を書いた。出たのが、平成に変わる頃。運よく版を重ね、いまでは講談社学術文庫というシリーズに収めてもらい、まだ、生き長らえている。で、ご興味あれば、そちらを見ていただきたいが、あらためて、いま、また思うことを書いておきたいと思う。

『カレーライスと日本人』
著者|森枝卓士 出版|講談社学術文庫

受容の背景には、まず、ご飯と一緒ということが大きかったのではないか。先述の札幌農学校の寮では、当初、洋食ばかりだったのだが、カレーの日だけはご飯と一緒なので、特に好まれたような話がある。
洋食が徐々にご飯に合うもの(千切りキャベツ添えのトンカツ、コロッケ等々とウスターソース)と化していったこともつながる話ではないか。

あるいは欧米人との体格の違いという感覚。近年、寿司がヘルシーであるとして、世界で受け入れられているのも、相対的に細い日本人、あるいは長寿社会であること等々のイメージが関係している。明治の日本人には、肉食が西洋人の体格をつくった、だから……というような感覚があったようなのだ。とはいえ、血の滴るようなステーキなどは抵抗がある。カレーに覆われた(あるいはラーメンの中に隠れている)お肉という程度がよかった?

カレーのスパイスなど新規なものだと思われるかもしれないが、なに、慣れた漢方薬である。ターメリックが鬱金、シナモンが肉桂という具合である。そういえば、洋食で欠かせないウスターソースづくりも、漢方薬屋から発したりしている。スパイスつながり。

関東大震災の破壊と復興の中で、江戸的なものがドラスティックに姿を消し、新しい文化が定着していった面があると考えている。軍隊などのカレーの定着もこのあたりの時期のようだ。

カレーの進化。
ルウというインスタントからレトルトへ

そして、第二次世界大戦後の復興、経済成長の時代に、カレーはルウというインスタント食品となる。インスタントラーメンが生まれたのとほぼ、同じ時期に。
そのことが、国民食というステータスへの階段を上るきっかけにもなっただろう。簡便に食事ができるという、それ以前には考えられなかったようなことが、特にこのふたつの食品で、可能になったのだから。

そのインスタント化、当初はルウという簡単に料理ができるようになるというものだったが、それがレトルト食品となってさらに変化を遂げる。アメリカの軍用食として開発された技術だが、それが、民生用として最初に生まれたのが、大塚食品の「ボンカレー」である。1968年のことだ。

つまり、カレールウが大家族であったり、あるいはグループでキャンプしたり、という場に対応したのに対して、レトルト食品は核家族、あるいは一人暮らしという日本人の生活様式の変化に対応した。社会の変容に対応したというべきか、あるいはこのような食品が先導したというべきか。
 

予測が難しい
昨今のカレー情況

ところで。
昭和の終わりに、未来予測のようなことをして、間違えたと後に思ったことがあった。

ラーメンはインスタントと外食。その併存というかたちがますます強まるだろうと思ったが、カレーはあくまで家で食べるものであり続けるだろうと思っていたのだった。学食であったり、あるいは洋食店の一部、インド料理店などで食べられることはあったとしても、基本は家庭の食であり続けるだろう、と。

実は先に紹介した本以外にも、調理法の本も何冊も書いた。カレーもラーメンも。その結果、カレーの本が圧倒的に売れて、ラーメンはそうでもなかった。やっぱり、カレーはつくるもので、ラーメンは外食かと思ったのだ。

ところが、昨今の情況である。
「CoCo壱番屋」のようなチェーン店展開。インド人、ネパール人の本格的な店も各私鉄沿線の駅にまで。タイ料理店だって負けていない。そして、それとはまた別のオリジナルなカレー専門店群も注目に値する。

いわゆるスパイスカレーブームが、それとかかわっているように思われるが、インド人でもタイ人でもなく、日本人が和風でもインドそのままでもない、新しいカレーをつくり出し、それが支持される(行列ができるカレー店……)という流れも昨今、目立ってきた。

店主の経歴など聞くと、さまざまな傾向があって、ひとまとめにはできぬ様子だが、とにかく、新しいカレーとしか言えぬような、スパイスを強調した、オリジナルなカレーの店が目立つのだ。

ある意味、札幌ラーメンや九州ラーメンというようなパターンを超えて、オリジナルなラーメンがあちこちに生まれ、支持を集めていることと軌を一にしているようにも思われる。
カレーは定番的国民食を超えて、百花繚乱、特に外食としての百花繚乱世界が出現したのだ。コンビニメニューでもそれらの専門店の味が再現され、さらにその知名度を上げるという情況も生まれる。

あるいは海外でも。もとはといえば、20世紀の終わり頃、日本料理の店で出していたカツカレーが人気を集めたところから発したらしい。イギリスでの話だ。そこから、(少なくないイスラム教徒も食べられる)チキンカツとカレーのコンビがお約束となる。いや、それさえ超えて、さまざまに自由なカレーが、イギリスでも(それ以外の国でも)花開いている。

さて、これからカレーはどこへ行くのか。
予測を外した人間が何か言ってもしょうがないかもしれないが、まあ、この傾向、百花繚乱がさらに広がるのではあるまいか。ますます、ローカル、地方の名物も生まれて。

さて?

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text: Takashi Morieda illustration: Yuki Muramatsu
2025年11月号「実は、スパイス天国ニッポン」

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