巨匠建築家の美術館建築クロニクル。
日本ミュージアム建築大全
明治以降の日本建築の歩みは、美術館建築を通してたどることができる。それぞれの時代の巨匠によって建てられた優れた作品とともに、現代までの歴史をひも解いてみよう。江戸東京博物館研究員の米山さんにミュージアム建築の楽しみ方を聞いた《日本ミュージアム建築大全》後編。
≪前編を読む
日本における美術館のルーツは、ウィーン万博で近代国家としての日本を紹介するための準備として、文物を集めたことにある。
「万博会場に持ち運ぶ前に国民にお披露目すべく、1872(明治5)年、湯島聖堂大成殿を会場に、文部省博物局による最初の博覧会が開かれました。これを機に誕生した『文部省博物館』が、日本ではじめて誕生した展示空間です」と、米山さんが解説する。
1877(明治10)年、第1回の「内国勧業博覧会」が上野で行われる。その4年後、第2回の展示施設として、英国人建築家のジョサイア・コンドルによってつくられたのが「上野博物館」だ。その後、コンドルの弟子である宮廷建築家・片山東熊によって、奈良と京都に博物館が立て続けに完成する。
「奈良、京都のふたつの博物館は、宮内省が管轄する施設として完成したので、明治洋風建築の粋を結集した豪華絢爛なつくりが特徴。東京帝室博物館の『表慶館』も片山の設計で、ネオ・バロック様式の壮麗な洋風建築です」。
大正から昭和には、実業家によって、私立美術館の「大倉集古館」や「大原美術館」が設立。そして、第二次世界大戦に突入する直前、1937(昭和12)年には、渡辺仁の設計で「東京帝室博物館本館」が帝冠式で完成した。戦時中には美術館の開館は激減するが、終戦直前の1945(昭和20)年に完成した「岩国徴古館」は、乏しい材料で濃密な空間を生んだ佳作である。
「戦後になると、建築家たちが美術館を数多く設計するようになりました。1955(昭和30)年に竣工した丹下健三設計の『広島平和記念資料館本館』は、戦後の日本建築の出発点となった記念碑的傑作です。また、世界的建築家のル・コルビュジエが、1959(昭和34)年に『国立西洋美術館本館』を手掛けたことはエポックメイキングな出来事でした」。
1960年代は、「大和文華館」や「東京国立博物館東洋館」のように伝統性を加味したモダニズム建築が花盛り。’70年代に入ると、「瀬戸内海歴史民俗資料館」のように、よりローカルな風土に根差した建築が模索されるようになった。
また、’80年代には装飾を排除したモダニズム建築への反動から、「装飾」を取り入れたポストモダン建築が相次いで生まれ、黒川紀章の「名古屋市美術館」はその代表例である。
現在、日本の美術館は、百花繚乱といえるほどさまざまなスタイルの建築が混在している。10年後には、どのような作品が加わっているのだろうか。
文=山内貴範
2018年11月号 特集「ミュージアムに行こう!」