TRADITION

建国から約2700年
世界最古の国、日本の歴史【後編】

2023.7.29
建国から約2700年<br>世界最古の国、日本の歴史【後編】
『憲法發布式之圖』(東京都立中央図書館蔵)

伝承によると、日本は今年で建国から2683年を迎えた。〝日本一生徒数の多い社会科講師〟である伊藤賀一さんとともに、日本がこれだけ長く続いてきた理由を思いめぐらす。

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伊藤賀一さん
1972年、京都府生まれ。リクルート運営のオンライン予備校『スタディサプリ』で日本史・歴史総合・倫理・政治経済・現代社会・公共・中学地理・中学歴史・中学公民の9科目を担当する“日本一生徒数の多い社会科講師”。20以上の職種を経験しており、現在も講師業にとどまらず、ラジオのパーソナリティやプロレスのリングアナなど、さまざまなメディアで活動する。月刊ペースで執筆活動にも取り組み、著書・監修書は60冊以上に及ぶ

『深読みしたい人のための 超訳 歴史書図鑑』
伊藤賀一監修
かんき出版
定価|1760円
発行日|2023年1月10日

連綿たる歴史の背景にある日本人のしなやかさ

記紀によると、日本は建国以来、約2700年にわたり、皇統で王権をつないできた世界唯一の単一王朝国家ということになる。
 
「天皇が126代連続で確実につながっているかは不明ですが、ある程度、正確に把握できている天皇から数えても100代以上。単一王朝がこんなに長く続いた理由は、天皇の処世術にあると思います。古代から近世には、変化する政治状況の中で時の権力者にあらがわず、地位や権威を保ちました。水に浮かんで風にそよいでいるようなしなやかなイメージですね。戦後のGHQに対しても同様で、さらにはその背景にある、国・国民のために自分はどうなってもいいという、公の精神による潔さも天皇らしさの表れだと思います」
 
一方の時の権力者は、天皇の権威を利用することで国をまとめ、政権を維持してきた。長い日本の歴史を振り返っても、天皇そのものを廃そう、天皇に取って代わろうとした者はいない。これは天皇を心のよりどころととらえる国民性によるものといえる。
 
「日本は自然災害の多い国。日本人は古来、感謝と同時に畏怖の対象である自然に八百万の神を見出しました。その自然崇拝から発展したのが神道で、その神々を祭る存在が天皇。日本人は自然に寄り添い、調和して生をつなぎながら、時代ごとのかたちで天皇を崇敬し続けてきました。この国民性は、〝おのずから成る(自然と成る)〟という言葉に集約されます」
 
そしてこの国民性ゆえ、外来のものをどんどん受け入れてきたのも日本ならでは。しかも日本人は、勤勉さでもって、それを自分たちの文化に取り入れるのも得意だ。
 
「そうして日本人は、時の流れにしなやかに対応しながら、国として長い歴史を紡いできたわけです。つまり天皇をはじめとする日本人全体のしなやかさこそ、日本がこれほど長く続いてきた理由と言えると思います」

672年
壬申の乱で勝利し大海人皇子が即位。大王から天皇へ

皇位継承をめぐる内乱に勝利した大海人皇子は、従来の大王ではなく、天武“天皇”として即位した。天皇は、古代中国の道教系の神名。「大王は、ヤマト政権内の王(豪族)たちのリーダー的存在でしたが、天皇は神格化され、次元を超えた別格の存在となりました」

701年
大宝律令が完成!律令国家・日本がスタート

唐と新羅が対立を強める中、ヤマト政権は中国の律令制を導入し、天皇中心の中央集権国家の確立を目指した。701(大宝1)年に大宝律令が完成すると、翌702年に33年ぶりに遣唐使を派遣。新たな国号「日本」を認めてもらい、唐との関係をあらためて築いた

9世紀中期〜11世紀中期
政治の実権が天皇から貴族に。藤原氏による摂関政治

平安時代、天皇に代わり母方の親戚・藤原氏が政務を行う摂関政治がはじまる。「天皇は、藤原氏に政務だけを任せ、自らの権威は保ちました。藤原氏にとっても、圧倒的な権威である天皇の外戚として政務を行うからこそ自らの権威付けになるので、天皇を廃することにメリットはありませんでした」

子・頼通とともに摂関政治の全盛期を築いた藤原道長/菊池容斎著『前賢故実』(国立国会図書館デジタルコレクション)

12世紀末期〜16世紀後期
鎌倉幕府の成立で貴族社会から武家社会へ

鎌倉幕府、室町幕府という武家政権は、軍事的には強大な力をもち、全国を支配したものの、天皇や上皇を廃することはなかった。「新興勢力であり、自らを裏付ける伝統的な権威のない武家にとっては、天皇から将軍に任じられることにこそ価値がありました。江戸幕府も同様です」

元寇での日本の勝利は、第二次世界大戦まで続く神国思想につながった/『蒙古襲来合戦絵巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)

1639年
鎖国の完成! “パクス・トクガワーナ”へ

「鎖国により海外とのもめごとを避けつつ、幕府が貿易を独占・管理し、大名に経済力をつけさせなかったことで、ローマ帝国のパクス・ロマーナ(ローマの平和)をもじった“パクス・トクガワーナ”と呼ばれる平和を、265年にわたって保ち続けました」

日本は鎖国中も長崎の出島(右画像)、対馬、薩摩、松前を窓口に海外と交流した/『諸御役場繪圖』(国立国会図書館デジタルコレクション)

16世紀後期〜17世紀前期
スペインに植民地化を断念させた戦国三英傑の天下統一

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国三英傑が天下統一を果たした戦国時代は、スペインやポルトガルが世界各地で植民地化を進めた大航海時代。「もしこの時代に群雄割拠の混乱が続いていたら、日本はスペインの侵略を受け、植民地になっていたでしょう」

1854年
開国後、西洋文化をみるみる吸収! わずか40年で列強の仲間入り

日清戦争(1894〜95年)で勝利した日本は列強の仲間入りを果たす。「外来のものを受け入れる国民性もあって近代化の速度が速かったこと、そしてその頃の列強はクリミア戦争や南北戦争などで手一杯で、日本に干渉する暇がなかったこともラッキーでした」

開国後に西洋から入ってきた新しいものと、旧来のものとの対立を擬人化した滑稽画/『開化因循興発鏡』(東京都立中央図書館蔵)

1889年
大日本帝国憲法により日本は立憲君主制に

1867(慶応3)年の大政奉還により、政権は江戸幕府から天皇へ返上された。列強との対等な関係を目指す新政府は大日本帝国憲法を制定。プロイセン憲法に倣った天皇主権の欽定憲法で、これにより日本は、当時のアジアで唯一の立憲君主国となった

大日本帝国憲法の発布式は1889(明治22)年2月11日の紀元節(神武天皇即位の日)に行われた/『憲法發布式之圖』(東京都立中央図書館蔵)

1946年
国民主権の日本国憲法発布。天皇は日本の象徴に

“マッカーサー三原則”(天皇制の維持、国家の主権的権利としての戦争放棄、封建的制度の廃止)を基本とした憲法。「天皇のために命を投げ出す国民ですから、天皇制を廃止したら何をするかわからないし、日本がまとまらないと考え、天皇制は維持されました」

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text: Miyu Narita
Discover Japan 2023年6月号「愛されるブランドのつくり方。」

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