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線香花火の一瞬に一生をかける
魂よ、宿れ。(前編)

2017.8.21
線香花火の一瞬に一生をかける<br/>魂よ、宿れ。(前編)

福岡県八女市から車で約30分。左右には出荷するにはまだ早い、青色のぶどう畑のビニールハウスが連なっている。

このぶどうたちは、ワインになるのだろうか? とのどを鳴らしていると、のどかな風景の中に、「筒井時正玩具花火製造所」という看板を見つけた。

そこから車を走らせること5分。デザインハウスのようなおしゃれな佇まいの建物。

ここが「筒井時政玩具花火製造所」だ。

敷地内はギャラリーと“フリースペース”という2つの建物と、そして奥には「火気厳禁」と貼られている花火の製作エリア。ここで筒井夫妻は命を懸けて、線香花火を製造している。

ギャラリーは、花火の販売を行うほか、訪れた人が楽しめる花火の暗室や事務所。
もともと、ガレージ(倉庫)を会議室として利用していたが、もう一軒建てるにあたり、もともと使っていたガレージをなんと新設するギャラリーの中に入れてしまったとのこと。

つまり、建物の中に倉庫が入っているというなんとも大胆なアイデアだ。「最初はそのデザインに驚きましたが、今は使い勝手がよく気に入っています」と筒井今日子さんは語る。

建物のデザインは、商品や販促物と同じデザイナーが手がけているそうで、「デザイナーさんとは、長い付き合いで、つくりたいものが共有できている気がします。お互いに意見を言い合うこともあります」と関係の深さが感じられる。

いまや「日本を代表する線香花火=筒井時正玩具花火製造所」と言われるまでになった、理想の線香花火が出来上がるまでを前編、後編の2回に分けてお届けする。

国産の花火を復活させるまで

いまから約17年前。国産の線香花火は危機的な状況にあった。

昭和50年ごろから、国産の花火業界は安価な海外産の花火に追い詰められていたという。そのため、国産の線香花火市場は非常に苦しい状況にあった。

当時、唯一国産の線香花火製造所があったのが八女市。日本で唯一の線香花火製作所にもかかわらず、無名。

そして、中国産に対抗するため、できるだけコストを下げ、大量生産という製造方法を続けていたため、国産とはいいつつも、品質は全く安定していなかった。

そこで、3代目の筒井良太さんが線香花火の製造技術の継承を願い、その国内で一軒の製造所で修行し、製造所の廃業と同時にすべてを引き継いだ。

こうして、良太さんの国産線香花火を復活させる果てしない挑戦がはじまったのである。

「質として、安定した線香花火をつくろう」

これが筒井さんご夫妻の共通の意見。

良太さんは、製造所でベースとなる知識は得たが、自分たちがつくりたい安定した線香花火を製造するため、火薬などの配合はいちから、すべて研究をし直した。

「毎日、朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってきて、真っ黒になるまで働いて……。なかなか納得のいくものが出来ないみたいでしたが、どんなものをつくっているのか不思議でした。ある日、良太さんがつくっていた線香花火を見せてくれた時、これまでの線香花火とはものとは全く異なるものでした。もう、これだ!と感動しました」と今日子さんは当時の様子を語ってくれた。

確かに良太さんの手がける線香花火は、発光も鮮やかで、長持ち。「花火って1シーズンで使い終わらないといけないもの、終わるものだと思いがちだけど、全然そんなことないんです」。

筒井さんの花火はワインと同様に”熟成”によって味わいが深まるそうだ。時を経た花火はよりやわらかく、温かみのある火花を散らしてくれる。

おなじみの東の線香花火。和紙の染色も良太さんが行う
西の線香花火。持ち手にはワラを使用している。火薬部分を上に向けて楽しむ花火

玉が落ちにくい線香花火 ?!

線香花火といえば、どちらがより玉を落とさずにいられるかを競い合ったものだ。

良太さんはより長く、そして最後まで美しく咲く花火をつくるために約1か月の試行錯誤を行った結果、和紙に火薬を入れたあとの、紙のより方によって落ちにくい花火をつくることに成功した。

後編では、国産の線香花火の知名度をアップさせた、ブランディング力に迫る。

常に火薬の状態が変化するため、逐一連携を取って作業を進める

筒井時正玩具花火製造所
住所:福岡県みやま市高田町竹飯1950-1
Tel:0944-67-0764
営業時間:11:00~18:00(7~8月)、13:00~17:00(1~6月、9~12月)
定休日:水曜日(7~8月)、 水・土・日曜、祝祭日(1~6月、9~12月)

(text:Discover Japan, photo:Kazumasa Harada)