ARTS & CRAFTS

将棋のコマが技術力の原点!? 天童市のものづくり

2017.1.20
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ニッポンが誇る天童木工の技術力。いまやニッポンが誇る木工家具の産地と言っても過言ではない天童市。実は、誰もが知っているあの小さな、小さな将棋駒からものづくりからはじまっていたのです……

まずは知っておきたい天童木工 技術力とデザインが生んだ 天童メイド の名作家具

日本のモダンデザインを牽引したデザイナー、柳宗理によるバタフライスツールは、ニューヨーク近代美術館やルーブル美術館のパーマネントコレクションとして収蔵されています。世界に羽ばたくバタフライスツールをつくるのは創業75年の天童木工。地域に根差すこの家具メーカーのふるさとは、山形県のほぼ中央に位置する天童市です。

柳宗理

日本を代表するインダストリアルデザイナー。東京美術学校洋画科卒業後、坂倉準三建築研究所入所。その後、柳工業デザイン研究所設立
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「天童木工の技術力がなければ、バタフライスツールは生まれなかった」。そう柳宗理に言わしめた天童木工の根幹をなすのが成形合板の技術です。成形合板とは、薄くスライスした木の板を重ね合わせて型に入れ、巨大なプレス機で圧力と熱を加えてつくる加工木材。繊細で優美なラインが特徴的なバタフライスツールのように、複雑な曲線をもつ、軽くて丈夫な家具の製作ができます。天童木工は成形合板技術を日本ではじめて取り入れた企業なのです。
 
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技術の発展に大きく貢献したのは、日本デザイン界の巨匠、剣持勇。彼は1932年、日本初の国立産業指導機関、工芸指導所へ入所しました。木製品の生産方法の研究や改善指導を行う途中で天童木工と出合いました。剣持は戦前に覚えた成形合板の技術を家具などに応用する夢を描き、技術指導を熱心に行いました。指導所で剣持の助手だった乾三郎は、のちに天童木工の技術担当役員となる人物。新しい技術の追求に貪欲だった天童木工による挑戦が日本のモダンデザイン史の礎を築いたのです。
 

天童市のものづくりの原点を探る

古くから木工業が盛んな天童市のものづくりの歴史は、江戸時代から続く将棋の駒づくりにはじまります。駒づくりでは全国生産量の大部分を天童市が占め、日本一。プロの対局が毎年行われるほか、人間を駒に見立てて行う「人間将棋」など将棋王国にふさわしい関連イベントもたくさんあります。
 
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天童市の将棋の駒づくりは江戸時代後期にはじまりました。当時、地域を治めた天童織田藩の財政は困窮。藩財政の窮乏は家臣の生計も圧迫したため、藩が駒づくりを奨励。つまり、はじめは武士の内職だったのです。「彫り駒」「盛り上げ駒」など、文字の仕上げはいくつかありますが、木地に漆で直接文字を書く草書体の書き駒が天童の伝統です。
 
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名人は1駒数十秒で仕上げる。名人、伊藤太郎さん(90歳)は学校に通いながら10歳で駒づくりを手伝いはじめ、89 歳で引退するまで書き駒一筋に製作を続けました。

街は将棋天国!

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郵便ポストの上や歩道の舗石、マンホールの蓋に至るまで、街を歩けばさまざまな将棋モチーフに遭遇する天童市。道の駅「天童温泉」の足湯は湯船に浸かる椅子も駒のカタチに!
 
(text: Seika Mori  photo:Kiyono Hattori)