ARTS & CRAFTS

「アート天国」瀬戸内の秘密は香川県庁にありました!

2017.1.20
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近年、瀬戸内は国際芸術祭などアートの街として盛り上がりをみせています。瀬戸内がアート天国と呼ばれるまでになったのは、必然ともいえる、ある人物と人物との出会いからでした……。

民主主義のあるべき姿を「アート」で表す

瀬戸内が世界的アートエリアとして認められるルーツは、香川県庁舎にあり? 一般的にはお堅いイメージが強い役所の建物が瀬戸内アートのシンボルとして誕生したのは、1958年5月のこと。高層棟と低層棟の2棟からなる香川県庁舎(現・東館)は鉄筋コンクリートづくりで、設計は日本を代表する建築家、丹下健三。柱と梁が生み出す日本的な美の構造をコンクリートで表現し、『タイム』誌でも取り上げられました。

猪熊弦一郎の壁画。茶道の心得「和敬清寂」を太陽と月で表しました

剣持勇のデザインが残る県庁ホール

屋上塔屋は建築家の巨匠、コルビュジエ風

 
香川県庁舎がアートのシンボルとして注目を集める理由は、芸術家やデザイナーによる作品の集積ゆえ。高層棟1階ロビーには香川県出身の画家、猪熊弦一郎の陶板壁画があり、低層棟2階県庁ホールの椅子や調度品などはインテリアデザイナー、剣持勇が手掛けました。また、丹下デザインのロビーのベンチや木製のクロークなどは、現在では香川県を代表する家具メーカーとなった桜製作所が手がけたのです。

香川県知事 金子正則

 
徹底してデザイン性を追求した県庁舎の実現には、当時の香川県知事、金子正則の存在が大きかったといいます。6期24年を務めた金子は「デザイン知事」の異名をもち、現在に至る香川県のグランドデザインを決定づけた人物です。「金子の希望は民主主義の時代にふさわしい建物をつくることでした。高松は空襲で街が焼失していますので、県庁舎は復興と民主主義を取り戻す意味があったのです。『観光県香川の象徴となる建築を』とも丹下に伝え、地元産品と資材を用いることも挙げていました」と香川県庁の今瀧さんは語ります。
 
ちなみに、知事に丹下を引き合わせたのは猪熊弦一郎。猪熊は旧制丸亀中学の先輩。当初予定していた会社の設計案に手ごたえを感じていなかった金子は東京で猪熊と偶然に会い、助言を受けます。猪熊らの計らいで、大阪から高松へと渡る夜行汽船の中で相部屋となった二人は意気投合し、県庁舎計画はドラマチックに幕を開けたのでした。

精神の表現としての芸術を用いた都市づくり

金子と丹下が香川県庁舎で目指したのは、市民が自由に立ち寄れる公共空間でした。県庁舎の正面玄関へと向かう低層棟1階は、約7mの柱で持ち上げたピロティになっています。開放的な空間は前面の歩行者道路との境目があいまいで、街を歩く人たちは自然と庁舎の敷地の中へ導かれてしまいます。「ピロティはル・コルビュジエが提唱した近代建築五原則のひとつですが、それが市民の集う場、民主主義の場として使えると考えたのは丹下がはじめて。都市の広場としての機能をもたせたのです」と今瀧さん。ピロティ下のベンチでは市民がつかの間の休息を楽しむ様子がうかがえます。
金子知事が文化芸術を重視した背景には、大学卒業後の判事時代に、のちに直島町長となる三宅親連との出会いがありました。ある事件に連座して被告として法廷に立った三宅は「日本の精神を守るため」と動機を語りました。今瀧さんは言います。
「以降、金子は日本の精神とは何かと問い続けました。ブルーノ・タウトの著書に出合い、芸術こそが時代の精神をかたちで表すことができると気づいたのです」。かたや三宅も地元、直島に戻り、後のベネッセアートサイト直島や、瀬戸内国際芸術祭へと連なる文化事業を推進。「知事と町長の関係がなければ、いまの香川の芸術的環境は育まれてはいないでしょう」
 
(text: Seika Mori  photo:Yuichi Noguchi)