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「金属加工の燕三条」原点はクギでした/新潟・燕・三条

2017.1.20

刃物や洋食器を中心に、世界に誇る名品を創出しており、近年は「工場の祭典」でも盛り上がりを見せる新潟県の燕三条エリア。ものづくりの街として発展した燕三条の原点に迫ります。

金属工業が生まれた風土

田園風景の中に信濃川がゆったりと流れる、燕三条地域。燕三条とは燕市と三条市一帯の総称で、新潟県のほぼ中央に位置。家族経営を中心に小規模な金属加工企業が多く集まり“日本で一番社長が多い町”と呼ばれるエリアです。

「燕三条でつくれない金物はない」。産地の人々は誇りをもってそう語ります。なぜここで、金属加工業が盛んになったのか、その理由は、風土から読み解くことができます。

米づくりで知られる新潟県ですが、燕三条は信濃川のたび重なる氾濫に悩まされており、農業以外の生業が必要とされました。しかし幸いにも鉱物資源が豊富にあり、広大な山林から燃料となる炭も手に入れやすい状況でした。そう、鍛冶業が盛んになる条件は整っていたのです。

江戸時代には和釘づくりが農民の副業として奨励され、江戸の大火などで需要が急増したこともあり、産業が拡大し、専業の職人も育っていきます。江戸中期には仙台の渡り職人が、金鎚で叩いて成型する工芸「鎚起銅器」(ついきどうき)の技を燕に伝承し、多様な金物がつくられる土壌が出来ました。

手で一本ずつ鍛造する和釘は非常に頑強で千年以上もつともいわれており、それは時代をたくましく生き抜く人々の精神性にも重なり、燕三条のシンボルとなっています。

明治に入ると和釘の需要は減少します。しかしここからが燕三条エリアの“実力”の見せどころで、三条は和釘づくりから大工道具、打刃物へと鍛冶の技術を昇華。対して燕は、和釘や鎚起銅器の技術を応用してキセルやヤスリ、洋食器と、産業を横に広げていくことになったのです。

時を経て、現在の燕三条には、鎚起銅器の老舗「玉川堂」、アウトドアブランド「スノーピーク」、包丁メーカー「タダフサ」など、日本のみならず世界から注目されるブランドがそろっています。“伝統”を超えるべく、これからも、燕三条の挑戦から、目が離せません。

(text: Natsuko Kato photo:Yuichi Noguchi)


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